そして96年、厚生省(当時)より「小柴胡湯による間質性肺炎が135例発生、10人が死亡」という緊急安全性情報が出された。これを「小柴胡湯事件」という。漢方薬の安全神話が崩壊した瞬間だった。

漢方薬は副作用がないと信じられていた

まずはなぜ、小柴胡湯で死者が出てしまったのか。日本東洋医学会専門医で司生堂クリニック院長の松田弘之医師がこう解説する。

「『柴胡』と『黄芩おうごん』という生薬が組み合わされると抗炎症作用が高まります。それらを含む小柴胡湯の抗炎症の効果は良くも悪くも強力。ある程度体力のある人でなければ、副作用が出やすくなります」

日高徳洲会病院院長の井齋偉矢いさいひでや医師は「『小柴胡湯事件』まではむやみに漢方薬を処方する風潮があった」と明かす。虚弱体質だったり、本来は適応外である「肝臓に活動性の炎症がない人」や、死亡例の中には「寝たきりの人」にまで小柴胡湯を投与したことで、重症の間質性肺炎が続出し、死者が出てしまったと考えられる。薬の副作用だけでなく、“誤用”もあったということだ。

次に、この副作用が起きた頻度を考えよう。「間質性肺炎が135例発生、10人が死亡」というと、衝撃的な数字に感じるが、実は西洋薬よりも発症リスクが明らかに低い。

長年、日本東洋医学会を牽引してきた日本東洋医学会名誉会員で、あきば伝統医学クリニック院長の秋葉哲生医師が詳述する。

「服用していた人が推計100万人で、2年間で88人が間質性肺炎を発症したと報告されています。それから計算すると、発症頻度は10万人に対して1年間に4人。これは西洋薬の副作用発生頻度を3段階に分けたときの、最も低いランク(人口10万人に対して100人以下)にあたります」

にもかかわらず、なぜ「事件」とされるほど大騒ぎになってしまったのか。

漢方は、遣隋使や遣唐使が国内に持ち帰って伝わったとされ、その後日本人の体質に合わせて独自に発展した。オランダから西洋医学が伝わると、西洋医学を「蘭方」と呼び、それまでの日本の医学を「漢方」と呼ぶようになった。一般に漢方が広く服薬されるようになったのは江戸時代からだが、国内での処方薬は中国で約1800年前に編纂された世界初の漢方処方マニュアル(『傷寒論しょうかんろん』)に忠実に作られている。

そのような長い歴史があり、しかも自然の生薬などを原料にしているため、西洋薬に比べて効き目が穏やかで、副作用が少ない薬剤であるという見方が主流であった。

「漢方薬は96年まで副作用がないと信じられていた」と、千葉大学呼吸器内科教授の巽浩一郎医師も言う。