台湾人たちはどうしても日本のテレビ番組が見たかった

台湾では87年まで戒厳令が敷かれていて、解除されるまでテレビ局は3局しかなかった。

写真=時事通信フォト

「それらの局で放送される番組はすべて政府が検閲していましたから、堅苦しい、面白くもおかしくもない内容ばかりで」(楊明珠氏。以下同)

さらに72年の日中国交正常化を機に、台湾のテレビ番組では日本語の使用が禁じられていた。

「日本の番組が放送できないのはもちろん、たまたま日本語が出てくる場面では、音が消されていたんです」

ところが80年代に入ると、この状況に風穴があく。

「特殊な機器をつけて日本や香港からの番組を違法受信する人が出てきたり、日本の番組を録画した海賊版ビデオがレンタル店に並び始めたりして、誰もが争って日本の番組を見るようになりました」

志村さんの死後に出た一部の記事には、そうした海賊版ビデオ人気の根底に、台湾庶民の反政府的な意識が働いていたとするものもあったが……。

「あの時代の空気を肌で知る人間としてはっきり言えますが、それはかなりうがった見方ですよ。血の通った憩いに飢えていた当時の台湾人は、日本のドラマやお笑い番組、歌番組などが持つ自由な雰囲気を本能的に求めたんです。例えばあの頃、お腹を抱えて笑えるような台湾のテレビ番組なんてひとつもなかったですから」

当時の海賊版ビデオは、家庭で楽しまれたのはもちろん、台湾ならではの視聴環境もあった。

「私の大学時代、『MTV』が大流行していました。アメリカの音楽専門チャンネルとはまったく関係なくて、日本でいう個室ビデオ店。とはいっても健全な雰囲気で、店内でいろいろなジャンルのビデオが安く借りられ、その中に日本の番組を録画した海賊版ビデオもたくさんありました。よく友人たち5、6人であれこれ借りて、同じ部屋で一緒に見たものです。当時は学生寮住まいで、ビデオデッキなんてなかったですから」

ドリフの海賊版ビデオに中国語の字幕

彼女がブラウン管を通して志村さんの姿に初めて触れたのは、そのMTVか、もしくは大学入学の直前、日本のことを勉強しようとレンタル店から借りてきたあらゆるジャンルの海賊版ビデオを自宅で見漁っていた頃だったと記憶している。

「時代を考えれば、『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』のコーナーだったと思うんですが、いっぺんでファンになりました。志村さんがコントで演じる人物は、見た目や表情も含めみんな個性が強くて、深く考えなくても笑えますから」

海賊版とはいえ、日本の番組には中国語の字幕が付いていることがほとんどだったという。しかし、細かいニュアンスまで伝わるほどの質は期待できず、文化の違いもあるので、言葉で笑わせるタイプの芸人の面白さは伝わりにくい。その点、キャラクターが強烈な志村さんのコントは、外国人にも理解しやすかった。

ただ80年代のドリフターズや志村さんの番組には、共演者とのセクシャルなやりとりや、上半身裸の女性がしばしば登場していた。女性として、そんな場面に不快な思いなどなかったのだろうか。

「そもそもアンダーグラウンドなビデオを見ているわけですし、これぐらいのことはあるだろうって無邪気に笑っていましたね。特に男性は、ああいったエッチなシーンにある種の解放感を覚えていたみたいですよ」

志村さんの笑いには性別はもちろん、世代も言語も問わず見る者を引きつける磁力がある。

「志村さんお決まりのフレーズだった『なんだ、チミはってか?』や『だっふんだ』は、老若男女誰もが真似しました。これはかなり珍しい現象で、台湾人や日本人の他のタレントや芸人が発したフレーズが台湾全土的な流行語になったことは、私が知る限りありません」