ウォール・ストリートに立って決心した

早稲田大学を卒業して第一勧業銀行(当時)に就職すると、日本橋の茅場町支店に配属されました。自転車で取引先を回り、預金を集めてくる仕事です。その頃から「海外の仕事に就きたい」とずっと手を挙げていました。暇さえあれば、専用ラジオで米軍のFEN(現AFN)を聴いて準備をしていました。

希望が叶ったのは入行5年目、89年からニューヨーク支店勤務になりました。いざ赴任すると留学中に学んだことは忘れているし、基礎的な勉強だけでは通用しない。「実体験に勝る学習なし」と痛感しました。

必死に英語を学び直しながら気づいたのが“英語上達の3条件”です。

第1は、文法をいったん忘れること。文法は大切ですけれど、それに縛られると会話に躊躇してしまう。コミュニケーションの神髄は、上手に話すことではなく、自分の考えを相手に伝えることです。

第2は、街に飛び出すこと。当たり前ですけど、街は英語で溢れている。他人の会話が聞こえてくるし、ポスターの宣伝文句も自然と目に入る。私が話すのは“ダフ屋の英語”だと言われたことがあって、それはディスカウントストアで値段交渉をしたり、ヤンキース・スタジアムで隣り合わせた米国人のファンと一緒に応援したり、そんなことを繰り返したからかもしれません。実体験を重ねるには積極性がなにより大切。「成功の反対は、失敗ではなく、挑戦しないこと」が私の持論です。

第3は、日本について勉強すること。コミュニケーションでは相手のことを勉強するのは当然です。しかし一方で、日本のことを尋ねられることも多い。現在の政治、経済だけでなく、伝統文化や歴史、芸術についてもよく質問されます。そのときに「知りません」では会話の相手を落胆させます。自分の言葉でしっかり説明できるのは、グローバル・コミュニケーションでは基本中の基本です。

街で生きた英語を学ぶかたわら、私は自費でニューヨーク大学の夜学に通い始めました。ウォール・ストリートに立ったとき、「ここの優秀なバンカーたちと対等に渡り合うには、金融の勉強が必要だ」と感じたからです。金融分野に強い同大学で、ファイナンス専攻のMBAコースに入りました。

周囲からは「英語もままならないのにMBAなんて無謀だ」「業務のために赴任したのだから、勉強しなくていい」という声も聞こえてきました。上司のひとりに社費留学の経験者がいて、支店長に「MBAはそんなに甘くありません。私はフルタイムで勉強してやっと卒業できたぐらいです。こいつは絶対に途中で諦めますから、とりあえず通わせてやってください」と説得してくれました。