龍馬のような生き方は羨ましい

発想が自由で、少しいい加減。それはビジネスにも必要な要素です。いくら「初志貫徹」を掲げても、自分が思い描いていたルート通りにいくというのは、世の中、まずありえない。計画からずれるたびに悩んでいたら、前に進めなくなります。がんじがらめに思い悩むよりは、大雑把なほうがいい。私なんかもそういう意味では、かなりいい加減な男です。緻密ではないという意味で。龍馬のような生き方は羨ましいのですが、実際にできるかというと難しい。だからこそ、龍馬に憧れる人が多いのでしょう。

当時「世界を目指す」と言った龍馬。夢物語的に言うのは簡単です。しかし、龍馬はしっかり実現させました。日本初の商社「亀山社中」を設立し、「貿易」「武器輸入」という、実業という形をもっての実現です。

彼は実際に外国に行ったことはありません。しかし、ビジネスの実務に裏付けられた彼の考え方は、後年いわれるグローバル感覚そのものです。

歴史の流れに翻弄されながらも、歴史をつくった人間として、龍馬は大きな魅力があります。

彼の持つもう1つの凄さは、圧倒的な行動力。鉄道がない時代に、高知から全国あちこち飛び回ることができたのは、なんとも不思議です。船も馬も使っていたとはいえ、あのような長い距離を「ちょっと西郷さんに会いにいってくる」なんてパッと動いてしまうなんて。

JR九州は、薩長同盟150周年記念の際「薩長ウォーク」というイベントを開催したことがあります。鹿児島から山口まで28日間かけて歩こうという企画です。私は、最初と最後だけ参加しましたが「よくこれを28日もやるね」というくらい長い距離なんです。どれだけ大変だったのか実感し、そして龍馬の見事な行動力を、身をもって感じることができました。

たった5年でこんなに動いた! 脱藩以後の龍馬の足跡

鉄道といえば、日本で初めて鉄道が開業したのは1872(明治5)年、区間は新橋―横浜間です。

ですが、実は模型も含めると、蒸気機関が日本に初めて入ったのは1853(嘉永6)年。ロシアの艦艇が蒸気機関の模型を積んできて、それを幕府の人間が見た。それが日本人との初対面だったようです。翌年、2度目の黒船来航のとき、ペリーが将軍へのお土産として、SLの模型を持ってきた。それを佐賀鍋島藩の技術者が真似して作り、藩邸で動かした記録があります。

1865(慶応1)年には長崎で、スコットランド商人のグラバーが、本格的な機関車を走らせました。PRのために、客車に人を乗せて600メートルほどの距離を引っ張っていったと伝えられています。その1865年というのが……そう、龍馬が長崎で亀山社中をつくった年です。その頃、すでに長崎入りをしていて、龍馬は仕事をしていたと思うんですよ。ということは、グラバーの機関車も見たのではないでしょうか! 龍馬の日記には書かれていませんが、彼ほどの行動力なら見ていただろうと私は予想しています。