「出会いの宝庫」から状況が激変
年をとって振り返ってみると、学生時代というのは、同年齢異性との出会いの宝庫です。そのような機会は、ほとんどの人にとって、人生で「最初で最後」だといえるかもしれません。それゆえに、「まだまだ同年代の異性に出逢えるチャンスはあるのではないか。出会いのチャンスがあるのなら、結婚を念頭に置いてまで、わざわざ家庭を持つための相手探しをしなくていいのかもしれない」という錯覚に陥りやすいといえます。
その気持ちはあながちわからなくもありません。20代前半までは学生気分が「相手を探す」行動に影響していたものの、25~34歳という、男女とも一般的に学生ではいられなくなる「就業必須年齢」(学生だから就業していない、とは言いにくくなる年齢)に達してみると、周囲の環境が大きく変化してしまい「適当な相手がいない」という回答が圧倒的となる、という流れの解釈は説明力があるように思います。
この「就学可能年齢」(学生であることに違和感のない年齢)の終焉とともに、独身でいるトップ理由の「まだ若すぎる」が急落し、代わりに「適当な相手にめぐり会わない」が、20代後半からはトップに浮上します。
日本はただでさえ高齢化が顕著な社会です。確率的に考えても、職場には親世代の頃よりもはるかに高齢者が多く、同期もいない、もしくは少ない、という状況です。ですので、学生時代に比べて、職場環境の「激変ぶり」が与える「出会いたくても若い異性があまりいない」衝撃は、親世代に比べて相当なものだと思います。
婚活版、寓話「アリとキリギリス」
一般的に就学者(学生)の多い年齢であるうちは「まだ若いから」と思って真剣交際する相手探しを先延ばしにしていたものの、「就業必須年齢」に移行した途端、環境の変化に大あわて。相手を探そうと考えるも目に付く同年代の激減ゆえに相手を見つけられずにいる――。そんな極端ともいえる男女の結婚活動の様相が独身調査の回答状況からは見えるような気がします。
若い独身男女が学生気分に浸り、「いつかは・いつかは文化」に染まってのんびりしているうち、気づいたときには適当な相手を見かけなくなってしまう。これは言ってみれば、寓話「アリとキリギリス」の“婚活バージョン”かもしれません。
学生時代を含めた若い年齢から「一期一会」とばかりにアリのようにコツコツとパートナー探しをしている人は、早々に結婚、あるいは長年付き合った人と結ばれていく。ところが、キリギリスのように「今は楽しければいいや。面倒くさい関係は無理。もっといい人がいるはず」と、パートナー探しを怠っていると、アラサーという“冬”が訪れたときには周りに「適当な」相手が見えなくなってしまっている。
そんなライフデザイン・ストーリーは、あながち日本の婚活の現実からそう遠くは外れていないかもしれません。