コスプレと同じくらい「市民権を得た」のだろうか

少し前になるが、あるテレビ番組でマツコ・デラックスさんが女装とコスプレを重ね合わせ、「何か共通するもの」があると発言した、という記事を読んだ(マイナビニュース<マツコ、衣装手作りのコスプレイヤーに共感「女装と似てる」>1月25日)。

2019年3月16日、資生堂「薬用 ケアハイブリッドファンデ」発表会のプロモーションイベントに登場したマツコ・デラックスさん
写真=つのだよしお/アフロ
2019年3月16日、資生堂「薬用 ケアハイブリッドファンデ」発表会のプロモーションイベントに登場したマツコ・デラックスさん

番組の中でマツコさんはコスプレについて「市民権を得た」と言っているが、では「共通するもの」のある女装も同じくらい「市民権を得た」だろうか。

この問いについてあれこれ考えているうちに、より根本的な疑問が頭をもたげてきた。つまり、「女装」という言葉の指す内容、あるいは「女装している人」として想定される人物像は、人によってかなり異なるのではないか? そしてそれは、性の多様性に関して多くの人々がもっている偏見や誤解と関連しているのではないか。

そこで本稿では、性の多様性を理解する現在の標準的な枠組みについて女装を足がかりに解説し、そののちに、先に述べた偏見や誤解がどのようなものなのかについても考えてみたい。「実地訓練」になるべく近いところで性の多様性についての「基礎講座」をやってしまおうというのが、今回の目的である。