夕張では、総合病院が消えたことでプライマリーケアに移行せざるをえませんでした。患者さんの重症度を見てふるい分けし、入院や手術など大きな治療が必要な場合のみ札幌の病院にお任せするという方式をとり、プライマリーケアを徹底しました。そうしていくと、入院治療が必要な患者さんというのは、実は非常に少ないことがわかりました。

そして破綻前に比べて、心疾患、肺炎を原因とする死亡率が減りました。代わりに、増えているのが老衰です。実は、破綻前も老衰の過程を辿っていた方は多くいましたが、プライマリーケアが浸透したことで、老衰という診断が増えたのです。

老衰とは体全体の機能が落ちるということです。それは、心臓も肺も胃腸も全体的に徐々に弱くなってくるということで、どれがトリガーになって亡くなるかは判断が難しい。たとえば、飲み込む力が衰えて肺に食べ物が落ちてしまい、肺炎になった超高齢の患者さんがいたとします。運ばれた先の緊急病院で亡くなったら、初めてその患者さんを診た医師は肺炎という死亡診断を下すでしょう。その人の体が老化でどう変化してきたかではなく、目の前の病気だけ見ているのですから。しかし、老いの過程を見てきたプライマリーケア医がいれば、最期がたとえ肺炎でも「これは老衰のパターンですね」と家族に説明ができるのです。

プライマリーケアのおかげで、救急車の出動回数も破綻前から半減しました。「何かあったらいつでも救急車で病院に来ていいですよ」というスタンスは、一見市民の安全・安心のためになっているように見えるのですが、実は違います。なぜなら、そこで初めて会う救急医と患者さんの間には信頼関係がないので、人ではなく病気を見る医療にしかならないからです。人間はいつか必ず死ぬのですから、本人の意思を無視してとにかく延命の治療をすることは、本当の幸せではありません。

プライマリーケアが広がらぬ理由

特に、90歳を超えたら、死ぬ直前まで本人なりに幸せでいられるかが一番大事と考えます。その年齢になったら何かしら病気が見つかるのは当たり前。強制的に入院させられ、病院のベッドに縛り付けられて治療を受けるよりも、最期まで自分の家で好きなことをしていたいという考えの人もいるでしょう。

救急車で病院に運ばれてくる患者さんには終末期の高齢者の割合も少なくありません。しかし、終末期に医療で解決できることは限られます。そのような時期に、病気だけを見て治療を行うことは避けるべきです。プライマリーケアとは、一人ひとりの人生に向き合い、その人にとっての最善の医療を行うことなのです。