稲泉 実態がどうであったかにかかわらず、終身雇用・年功序列のもと一つの会社に勤め続けるというイメージを持って社会に出てみたら、社会や企業は「自分のキャリアは自分でつくる」「個人として自立して生きるべし」というメッセージを強調するようになっていた。それが今、ロスジェネと言われる人たちの見てきた心象風景という感じがしています。
海老原 我慢して会社ブランドにしがみついていれば20年後に対価が得られていたのに、それが崩れたので若者が迷っているという話ですね。
稲泉 ええ。ただ僕が言いたいのは実際に対価があったかどうかよりも、対価があるとみんなが思っていたのに、実際に社会に出てみたら全く異なることが言われ始めていた、ということです。いわば終身雇用・年功序列という日本型雇用の「神話」が、成果主義などの別の「神話」に移行していく中で、自分がどう働いていくかについての葛藤が生まれたのが、10年くらい前の就職氷河期ではないかと思うんですね。
海老原 稲泉さんは、自分の意図に沿った情報のパッチワークではなく、平明な視線でその他多くの事象を捉えている。新作『仕事漂流』では、4年をかけて取材されています。
稲泉 この本の主人公は、就職氷河期に就職し、転職した8人の若者です。僕は人が会社を辞めるときは新たに何かを始めるときであり、以前やっていたことを相対化するときでもあると思います。『仕事漂流』では、そういう個人の体験をひたすら描きたかったんです。
――就職氷河期に陥った90年代、企業では何が起こったのでしょうか。
海老原 かつて日本の大企業では大規模なリストラは行われませんでした。人員調整ではなく、下請け・孫請けへの発注調整で行っていた。90年代の前半でもまだ、大企業は新卒採用を控えることで、リストラせずに社員数を自然減させていました。ところが、後半になると、それらで対応しきれなくなり、本格的な退職勧奨が始まりました。トヨタがリストラをしないと宣言したら格付けが下がった時代ですね。
当時は、日銀短観の過剰雇用DIが最も高くなった時期であり、「働かない管理職」が話題になっていた。再就職事業の立ち上げに関わったので、真近にそういう人たちを見てきました。上司を見てあんな課長になりたくないと不安を感じるのは、そのころのほうが強かったと思います。
それから日本企業も苦労して、社内風土を変えてきたのです。課長になっても働いていなければ、給与は下がる仕組み=成果主義を入れ、身の周りの世話役としての“庶務”を廃止し、管理職になってもきちんと働くことを求められた。今、再就職支援事業を見ると、退職勧奨を受けた管理職が、労働市場でもそれなりに受け入れられるようになりました。
かつての「働かない管理職」時代より、若者の将来不安は軽減されているとも言えるんです。