「僕はもともと体力がない」

ベニスの街は、石でできています。石垣を描くのは時間がかかるから、最初は連載でやるのは難しいと思っていました。でも読み切りで試したら案外早く描けました。一回描けば、次はもっと早く描けます。こうやって読み切りで実験しながら、連載にも活かすことは多かったですね。

スケジュールを詰めるやり方は、『こち亀』が一話完結だからできた面もあります。ストーリーものは、「先週このキャラクターが人気だったから、もっと登場させよう」「ちょっと人気が落ちてきたから、流れをガラッと変えよう」と、読者の反応を見ながらストーリーを変えることが珍しくありません。1カ月先はどうなっているかわからないから、描きためることができないんです。その点、一話完結は有利でした。

仕事のやり方は40年間、ほぼ変わりませんでした。年齢を重ねて体力が落ちたら無理ができなくなるという人もいますが、僕はもともと体力がないから無理しなかった。最初から体力がないから落ちようがないし、そもそも漫画家は座っているだけだから体力も使わない。そう考えると、本当に僕に向いた職業です。

©秋本治・アトリエびーだま/集英社
40年間の連載を一度も休まなかった秋本先生と両さん(200巻「40周年だよ全員集合の巻」)

ズボラさがないと、大ピンチはしのげない

時間管理しながらマイペースで仕事をやってきた僕でも、大ピンチだったことが一度だけあります。連載35周年で、記念として漫画13誌に『こち亀』を同時掲載する企画が持ち上がりました。これはさすがに常識はずれ。迷いつつも、ありがたい話なので「落ちても文句は言わないくださいね」と言って引き受けました。僕は自分でスケジュールを決めてきっちりやっていく一方で、わが身に降りかかってきた事柄は受け入れてしまうところがあるんです。

ただ、やっぱりすぐに後悔ですよ。同時掲載の予定は3カ月後。連載をやりながら、それとは別に週に1本描かないと間に合いません。ひとまずいつものようにスケジュールを組んでみましたが、どう考えても無理。計算していて、吐き気がしました(笑)。

こういうときは開き直りも大切です。先のことを考えると頭が痛くなるので、スケジュールを見ないで、なすがままで描くことにしました。

13誌同時掲載というムチャな仕事を引き受けたこともそうですが、僕にはいい加減な面もあります。たとえば漫画家の中には、人気が出るにつれてプレッシャーを感じて描けなくなる人もいます。頭がよくて責任感の強い人ほど、考えすぎちゃうんですよね。でも僕は「人気があるなら、そのままいけばいいじゃん」とのんきに構えていられます。

このときも、「まあ、いいか。なるようにしかならない」と開き直りました。そうでもしなければ、きっと途中で逃げていたはず。楽観的に考えるズボラさが僕を助けてくれたのです。