※本稿は、池上彰・佐藤優『教育激変 2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
「地方の公立校の人間が非常に少ない」
【池上】私は、今、東京工業大学で教えているのですが、いろんな意味で深刻だと思うのは、入ってくるのが圧倒的に首都圏の中高一貫私立校出身者で、地方の公立校の人間が非常に少ないことなんですよ。状況は、東京大学でも一橋大学のような大学でも同じでしょう。
【佐藤】学生たちが均質化している。
【池上】そうです。彼や彼女たちは、基本的に恵まれた環境に育ち、子どもの頃から塾通いをし、偏差値の高い私立学校で学び、とずっと同種の人間たちばかりのコミュニティーで育ってきました。頭はいいし性格も悪くないのだけれど、視野が狭い。難しい方程式をスラスラ解くことはできるのに、今世の中がどうなっているのかというようなことになると、全然知識がないのです。
かつての東大には、地方の公立高校出身者が多数いて、野武士のような若者たちが梁山泊を形成して、天下国家についても侃々諤々(かんかんがくがく)やったわけでしょう。今は、そんな雰囲気はまったくありません。当然、その環境は霞が関まで続いていて、そういう人間たちがごそっとそこに集まるわけですね。これは恐ろしいことです。
【佐藤】それに比べれば、私が同志社大学の神学部で教えている学生たちは、同質的ではありません。
目的を持って大学に入る学生は伸びる
【池上】同志社の神学部に行こうというのですからね。それは個性的なんじゃないでしょうか。
【佐藤】確かに個性的です。偏差値70超の高校出身者が時々いるんですよ。受験競争を避けて神学部に来て、奇をてらってイスラムを専攻する。イスラムを専攻するのはいいのだけれど、動機が不鮮明だから、勉強に打ち込むことができず結局貴重な時間をロスしてしまう。一番教えがいのあるのは、偏差値が65くらいで、ちゃんと目的を持って入ってくる人で、そういう学生はとても伸びますよね。やはり、目的を持って大学に入ってくるというのは、とても大事なのです。
【池上】ただ、残念ながら、現実にはそんな学生は少数派でしょう。
【佐藤】全体から見れば少数派です。多くの学生が大学で学ぶ目的を持てないでいる最大の要因は、やはり偏差値的に「いい大学」に入ることのみを目的にした、行き過ぎた受験勉強にあると言わざるをえません。有名大学への合格者数を競うような私学や受験産業のゴールは、とにかく東大に合格させる、早慶(早稲田大学、慶應義塾大学)に合格させることで、大学に入ってからの接続など何も考慮されてはいない。だから、ゴールを達成してみたら、そこで何をしたらいいのかが分からなくなってしまうのです。なんとなく東大法学部に入った若者たちは、今度は財務省に入ろう、外務省に行こう、要するに「偉くなろう」というのを目標にするようになる。