サラリーマン経験10年が「監督業」に生きている

そして、2007年に現役を引退したあと、電通に入社し、サッカー日本代表チームのスポンサーである大手飲料メーカーの営業の部署に配属される。そこでは、元Jリーガーという肩書は通用しない。さまざまな仕事の現場ですすんで下働きをしたという。5年間、電通で勤務したあとは、当時Jリーグオフィシャルブロードキャスティングパートナーであった衛星放送の大手「スカパー!」への入社を果たす。

「Jリーグの試合中継の担当をしたり、各クラブと一緒になって企画番組を作ったりしました。また、Jリーグの試合中継放映権がスカパー! から(インターネットスポーツ中継サービスの)DAZN(ダ・ゾーン)に変わるタイミングだったので、お金の流れやスポーツ中継の価値、交渉などを目の当たりにしたことが財産になりました」

なぜ、早大の監督をやることになったのか?

こうして社会人生活も約10年となり、それなりに充実した生活を送っていた外池氏はなぜ母校の監督に就任することになったのか。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/mizoula)

「早大ア式蹴球部が2024年に創部100周年を迎えるということで、そのプロジェクトメンバーになってOB会活動に参加していたんです。部員と接すると生きかたやサッカーへの気概が低いように感じました。OB会という外側からいろんなアプローチをしていったところ、ならば実際に監督をやったら、という話になって……」

多くの大学の体育会の「監督」は学内の嘱託職員になるか、それまで勤務していた企業から出向という形にすることが多い。ところが外池氏は業務委託という契約を希望する。

大学から監督業務委託料を支払ってもらったスカパー! が、外池氏に給料を払うという流れをつくったのは監督業を単なる腰かけにしたくない、と現在の業務との融合により相互の付加価値を生み出すというビジネス感覚によるところがあるに違いない(現在も、外池氏はスカパー! のコンテンツ事業本部チャンネル事業部のスポーツチームに籍を置き、制作や編成、広告などサッカーコンテンツ事業に従事している)。