復興後の「新しい街」に寺や神社を置くことが困難なワケ

火災保険に入ればいいという人もいるかもしれないが、歴史的木造建造物などは掛け金が高額になり、多くの宗教法人が加入していないのが実情だ。大手教団の中には、建物共済を取り入れているところもあるが、それでも再建資金のわずかな足しにしかならない。

甚大災害が起きた時に、宗門は義援金を拠出することもある。前出の曹洞宗の全壊寺院については一律300万円(第一次配分)を給付している。だが、寺院が全壊すれば、復興は最低でも「億単位」となる。この助成金では「焼け石に水」であろう。

では、国や行政が宗教法人にたいして再建資金を拠出できるか、といえばなかなかハードルが高い。憲法で定める「政教分離の原則」が横たわっているからだ。復興政策において宗教施設や墓地は、公的支援の対象からは外れてしまっている。具体的には、伽藍(がらん)などの再建、移転のために公的資金が拠出できない、将来的な津波対策のための高台に宗教施設が移転できない、などである。

そのため、復興後の「新しい街」には寺や神社を置くことが、現実的には困難になっている現状がある。公民館や公園の再生はできるが、もともとあった寺院や神社は復興後、地域に戻ってこないのである。

高台にあったことで3.11の津波被害を逃れた神社(陸前高田)。写真=鵜飼秀徳

宗教施設は学校や公民館などと同様の「社会資本」だ

寺院や神社は年中行事や法事、あるいはお祭りを地域ぐるみで実施する。そうした宗教行事を通じて、地域のコミュニティーは強化され、時に寄り添いの場になったり、災害時の避難所として機能したりする。高齢化、多死社会の到来にあって、寺院の檀家組織や神社の氏子組織をいかした「見守り」も効果的だろう。

地域の宗教施設は、学校や公民館などと同様の「ソーシャルキャピタル(社会資本)」なのだ。

行政は政教分離という原理原則論を主張する傾向にあるが、そのことで寺院や神社が衰退し、ひいては地域が疲弊していくというジレンマに陥っている。地域から宗教施設が失われれば、結果的には信教の自由も奪われる。国や行政には柔軟な対応を求めたいし、今後、政教分離の議論が広がっていくことを望む。