白鷗、青山が復活し、立川、八王子東が凋落

牧野知弘『街間格差』(中公新書ラクレ)

都内どこからでも希望の都立高校を受験できるように入試制度を大幅に変えた際、当時の石原慎太郎都知事は「高校生なんだから好きな学校に電車に乗って通えばよい」といったようだが、通学時間はあまり長くないほうが良いに決まっている。また希望の高校までの交通利便性も重要な指標になったはずだ。その後、都立高校の入学者選抜方式はその後、幾度かにわたって改変され、現在では都内どこからでも「単独志願」で学校を選べるようになっている。また各学校に特色を持たせるために進学指導重点校、進学指導特別推進校などの指定や小石川中等教育学校(旧都立小石川高校)のような中高一貫校も設置されるようになった。

ではこうした動きがその後の都立高校の進学絵図にどのような変化をもたらしたのだろうか。学校の良し悪しを東京大学進学者数だけで判断するのが良いとは思わないが、あくまで参考数値という意味で、18年度の各都立高校の合格者数を見てみよう。

一時、東京大学合格者数が一桁台に落ち込んでいた日比谷高校の48名を筆頭に国立高校26名、西高校19名が続く。注目すべきは、進学成績を落としていた下町の名門校、白鷗高校が6名、都市部の学校で、こちらも一時期進学成績が低下していた青山高校が7名、小石川中等教育学校も12名の合格者を出している。一方、郊外人口の増加の流れに乗って進学成績を伸ばしていた立川高校は3名、八王子東高校に至っては進学指導重点校であるのにもかかわらず合格者が0名になっている。

※初出時、「白鷗高校が12名」としていましたが、「白鷗高校が6名」の誤りでした。訂正します。(1月30日19時00分追記) 

都心部ほど良い生徒が集まる

この現象は入学者選抜制度の改変や各学校の進学指導などの努力の賜物である一方、人口の都心回帰の動きと連動しているように考えられる。

私立高校でもこの流れは顕著だ。たとえば、渋谷区にある渋谷教育学園渋谷高校。同系列の幕張高校は48名の合格者を出しているが、近年進学成績を急伸させた渋谷高校が25名もの合格者を出すに至っている。かつて東京大学への合格者を輩出していなかった、豊島区の本郷高校も17名。同じ豊島区の豊島岡女子学園は21名。38名の合格者を出した早稲田高校、48名の合格者を出した海城高校はいずれも新宿区、13名の合格者を出した攻玉社高校は品川区にある。

まとめると、公立でも私立でも、今は都心部にある学校ほど、良い生徒が集まる傾向にある。そして今やこの傾向は、大学のありようにまで影響を及ぼすようになっている。