経団連の幹部や加盟企業の経営者・人事担当者に上記のことを「実は、そうなのですよね」と同意を求めても、決して「そのとおりです」とは返答しないだろう。でも、返答とは裏腹に、彼らの大部分は、「それを言っちゃ、おしまいでしょう」と苦笑するだろう。

企業の人事に、政府が介入することの異様さ

次に新たなルールに関連したいくつかの提言を行ってみたい。

第1に、新たなルールを政府主導で設定する(企業の人事に、政府が介入する)という発想の異様さをしっかりと認識しなければならない。ただ、この流れは、就職協定が最初に締結されたときから既定路線であり、変更を加えることはできないだろう。そうだとしたら、せめて、政府主導の新しく設定される指針は、採用活動に関する理念(Credo)のレベルにとどめることが望ましい。詳細なルールを作成するなら、ルール違反に対する厳しい罰則を設ける必要があるだろう。

しかし、国が決めたルールならみんな遵守するだろうと考えるのは安直すぎる。少数であってほしいが、企業はルールを守らない存在なのだ。監査論の初回の授業は、「監査の歴史は、不正の歴史である」という言葉から始まる。ルールは、残念ながら破られるものである。

画一的な採用プロセスでは「原石」は見つからない

第2は、画一的な新卒者採用の進め方について、抜本的な変革を行う必要がある。多くの企業は、自社および自社の属する産業は特殊であるという。もし、そうだとすれば、自社にふさわしい人材のプロファイルも多様なものとなると考えられる。しかし、現実は、エントリーシートによるスクリーニング、SPIによる適性検査、集団面接によるさらなるスクリーニング、そして、最後に役員面接というプロセスを踏む企業が大多数である。

判で押したような採用手順には問題がある。採用に時間がかかり過ぎるとともに、多くの経営資源を投入しないといけないからだ。短期間で採用活動を終えることができ、投入する経営資源量を節約できる各社独自の採用方法を検討してほしい。そうすれば、画一的な採用プロセスで見落とされる「隠れた光る原石(hidden gems)」を発掘できるだろう。

これからは、かつて大成功を収めた護送船団方式の日本株式会社では、世界の強敵に伍して戦うことはできないだろう。大きな政府に頼る企業は、残念ながら世界のトップに立つことはできない。自分たちが採用する人材に、自社の将来を託すのである。採用活動は、企業の将来を決定する極めて重要な意思決定なのである。自社にとって有用な人材は、大多数の横並び行動をとる企業に必要な人材と異なっていて当然だと考える必要がある。

「自分たちが正義だ」という企業の思い込み

ルールが決まっているにもかかわらず、リコール隠しに代表される隠蔽や、データ改ざんを含む法令違反は後を立たない。法令遵守(コンプライアンス)が声高に叫ばれる本当の理由は、わが国には、いまだ法令遵守の体制が整っていないからかもしれない。