受け皿が広い「説」フォーマット

この番組の面白さの秘密は、「説」自体の面白さと、それを検証する過程の面白さに分けられる。藤井はこの番組で取り上げる説を選ぶときの基準をいくつか持っている。「説」自体を聞いただけで面白いと思えるかどうか、検証の結論に興味が持てるかどうか、結論に至るまでの過程が面白くできるかどうか、の3つだ。

ラリー遠田『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論 』(イースト新書)

説のフレーズを聞いただけで笑ってしまうようなものもあれば、結果が気になるようなものもある。「説」という、なんにでも対応可能な受け皿の広いフォーマットを用意することで、さまざまなテイストの企画を試すことができる。

この番組の特徴は、説の立証を厳密にやるということだ。検証VTRをつくる過程では、余分なヤラセや不正をしないのはもちろん、視聴者の目線に寄り添った演出で見せていく。

小さな違和感を見逃さない

例えば、「ストッキング被って水に落ちるやつ、誰がやっても面白い説」という企画で、何人かの芸能人がストッキングを顔に被ってウォータースライダーを滑り降りた。そこで、俳優の中村昌也が挑戦したときのこと。中村は不自然なほど大げさにもがき苦しむそぶりを見せていた。正直、気になるほどではない。しかし、ちょっとした違和感はあるため、リアクションとして素直に笑えるほどのものではない。

こういうときに、藤井はそれを見過ごしてそのまま流すということをしない。なぜなら、実際には面白くないものを面白いものとして視聴者に見せるのは誠実ではないと考えているからだ。VTRを撮るために事前にどんなに準備をしていても、想定していた通りにならないことはあるし、予想外の結果になってしまうこともある。

しかし、そこで結果を歪めてしまってはいけないし、笑えないものを笑えないままで見せてしまってはいけない。そこにひと工夫が必要なのだ、というのが藤井の考えである。結局、中村の大げさなリアクションの映像を見せたあと、リプレイのシーンでこんなナレーションを流した。

「慣れないバラエティのロケで不安だったのか、完全にやりにいってしまった。自慢の長い足をわざと大きく開き、スタッフの反応が悪いと感じたのか、プールに顔を理由なき二度づけ。息苦しさを大袈裟にアピールするとんだ“串カツ野郎”にスタッフはすっかり醒めきってしまう結果となった」
(藤井健太郎著『悪意とこだわりの演出術』)

意地の悪いナレーションを入れることで、中村の行為で生まれた違和感を強調して、そこに笑いどころをつくるという荒技である。藤井は、これこそが視聴者に対して誠実な態度なのだと考えている。面白くないものを編集やテロップなどで面白かったように見せることは不可能ではない。だが、それはやりたくないと藤井は考えている。それをやるぐらいなら、撮れたものはありのままに見せて、別の切り口で笑いを作ればいい。