体育教師志望から、キャンペーンガールに

那覇市出身で沖縄県立首里高校を卒業した上條さんは、「保健体育の先生をめざして」日本体育大学に進学した。教員を志望したのは、高校時代に恩師と呼べる先生がいたからだ。

「私はソフトボール部の投手だったのですが、部のコーチだった伊良部先生に影響を受けました。練習は厳しかったけど、生徒への愛情があった。先生との出会いをきっかけに、生徒の人間形成に影響を与える『教師』という職業に興味を持ち、日体大の体育学部に進んだのです」

大学3年の時、知り合いからオリオンビールのキャンペーンガールへの応募を勧められたが、興味がなかったことと、自分にできるはずがないと考えて固辞。翌年、もう一度勧められ、就職先は内定していたが沖縄に帰りたい気持ちもあり、遊び感覚で応募した。

「応募者はみなさん、かわいらしいビキニ姿で審査に臨んでいたのですが、私だけスポーツビキニにサーフパンツ姿 (笑)。それでもなんとか、3人のうちの1人に選んでいただきました」

上條さんがキャンペーンガールを務めた、2009年夏のオリオンビールのポスター。

当時のポスター写真を見ると、ヘアスタイルもメイクもどこか昭和風だ。水着姿でほほ笑むキャンペーンガールには、セクシーなイメージもあるが、上條さんは明るくこう話す。

「もともとウエイクボードやダイビングをやっていて、海が好き。日常から水着を着ていたので、抵抗感はほとんどありませんでした」

「ビールの注ぎ方」や「座持ち」も学んだ

タレントや女優には、キャンペーンガール出身という人は少なくない。「芸能界への登竜門」ともいわれるが、その仕事はイベントでのPR役だけではない。取引先との宴席など販売促進の業務もある。上條さんも「取引先との会食の回数は多かった」と振り返る。

「必ずラベルを上に向ける」というビールの注ぎ方を学んだのも、キャンペーンガールになってからだ。学生だった上條さんは、それまで営業がともなう宴席には出たことがなかった。このときの経験は独立後の営業にも生きることになる。

オリオンキャンペーンガールの契約期間は1年(1月~12月)で、1月3日に新春恒例の「初荷式」に参加する。ビールを製造する名護工場から、「初荷」の垂れ幕を掲げたトラックが本社に到着。獅子舞やエイサーが奏でられるなか、トラックの荷台が開く。キャンペーンガールはフォーマルな衣装で臨み、会社幹部と一緒にくす玉を割る大役も担う。この後「交歓会」で挨拶し、ダンスも披露した。ただし、こうした活動も甘くない。

「派手な活動に見えますが、“教育係”の人がしつけに厳しく、『集合時間には絶対に遅れるな』『チヤホヤされても調子に乗るなよ』と戒めてくれました」