「What do you do?」と聞かれて「I'm a housewife」
キー局のアナウンサーが私の最初のキャリアです。高倍率の難関をくぐり抜け、憧れのアナウンサーとなり、ニュース番組のキャスターを任されました。時代の波に乗り大変勢いがあった局なので、充実した毎日を送っていましたし、社会人としての基礎はここで培われたと思います。でも、伝統的な価値観の家庭で育ったこともあり、自分もいつか結婚退職して、母のような専業主婦になるのだろうと思っていました。
その後結婚して仕事を辞めましたが、いざ主婦になったら毎日やることがない。以前はアナウンサーとしてバリバリやっていたのに、今では「牛尾家の嫁」でしかない自分にがくぜんとなりアイデンティティーを喪失。むなしい毎日を送っていました。
やはり働きたい、年齢や容貌に左右されず、生涯続けられる職業はないだろうかと。ある政治家の奥さまと知り合いだったので、その頃のもんもんとした気持ちを打ち明けました。奥さまいわく、夫に随行して海外に行くと、パーティーで必ず「What do you do?」と聞かれて「I'm a housewife.」と答えると会話が止まったそうです。「海外の要人の妻は、弁護士や大学教授だったりするから辛かったわ。あなたはどうしてキャリアを捨てたの? 古い世代のまねなんかすることないのに」とおっしゃったのです。
▼大学院で必死に勉強。公募で専任講師の道へ
社会と接点を持ちたい私にとっては、その言葉が背中を押してくれました。私は地方の進学校から慶應義塾大学の文学部に進学し、もともと勉強は好き。専門性があって、ある程度自由があって子どもを持っても両立できる仕事は何かと考えたところ、大学教員が選択肢にあがりました。実家も嫁ぎ先も経営者の家系で、アナウンサー時代にもMBAを取りたいと思っていたので、慶應のビジネススクールを狙いましたが、受験勉強は想像を超えた大変さ。入学してからもハードで、実務家や企業から派遣されてきた同級生と、文学部卒のアナウンサーだった私とでは、土台のレベルが違います。
夫の父母と同居していましたが、義母ができた人で家事を私の代わりにこなしてくれ、大学院の授業参観にも来てくれました。普通なら「家でおとなしく息子のパンツでも洗っときなさいよ」(笑)って感じなのに。勉強するには恵まれた環境にいたので、博士課程にも進むことができ、その途中で娘を出産。博士課程が終わる頃に、教官から「明治大学が公募で専任講師を探している」と聞いたのです。通常は退官する教授の信頼できる弟子の学者を後任に推薦するパターンが多いので、公募が少なかった。でも明治は完全に公募だと聞いて、大慌てで資料を提出したら、面接を経て、幸運にも採用されました。