全く違う世界からキャリアチェンジを成功させた3人の女性たち。彼女たちは「あのとき、あの決断がなかったら、今の自分にはたどり着けなかった」といいます。一体なにが転機になったのか。1人目は、札幌の通信会社から大阪の弁護士へとキャリアチェンジした亀石倫子さんです――。(第1回、全3回)
亀石倫子さん●法律事務所エクラうめだ代表弁護士。1974年生まれ。大阪市立大学法科大学院卒業。主な担当事件は2014年のクラブ風営法違反事件(一審無罪、16年最高裁で確定)、17年のGPS捜査違法事件(最高裁大法廷で違法判決)など。

女子大英文科卒が泣きながら勉強し34歳で司法試験合格

「君かね、社内で波風を立てている社員とは?」――東京の女子大を卒業して、地元・札幌の大手情報通信会社に就職したとき、役員に言われた言葉です。マーケティングや広告宣伝を任され、仕事はそれなりに楽しかった。でも“言われたことを黙ってやっていればいい”という保守的な社風になじめませんでした。

たとえば、総合職なのに女性だけ制服を着用させられるのがどうしても納得がいかない。もちろん制服のほうがいい人は着ればいいのです。だけど私は、社会人にもなって制服を強要される意味がわからなかったので着るのをやめました(笑)。就業前に行われる朝のラジオ体操も拒否したら、問題児扱い。そんな新入社員のさまつな反抗を気にするより、もっと仕事で生かそうとするほうが建設的だと思いませんか? 積極的に仕事のアイデアを出したりしましたが、受け入れられないことが多く、ますますモヤモヤしていました。

▼知人がいない土地なら、勉強に打ち込める

こんな状況を打破したくて、ウェブデザインや好きな美容の道で資格を取るなど考えましたが、「その資格を取って一生働き続けられるの? 親を安心させられるの?」など、ネガティブファクターが次々と浮かんできて踏み出せなかったのです。

そんなときに夫と知りあって結婚。彼は大阪で勤務していたので、退職して知人が誰もいない場所に行ってしまえば、ゼロにリセットできる。そこで何かに100%専念できる環境をつくれると思ったのです。そんなとき、たまたま司法試験のパンフレットを書店で見たときにピン!ときました。それまでと違って、ネガティブなものが何も浮かんでこなかったからです。組織に向かない性格だから、弁護士として独立できれば、人生を自由に生きるための強い武器になるはずだと決意しました。

大阪に移住して4カ月後には、当時の旧司法試験を受けるための予備校に通い始めました。夫には事後報告でしたが「あ、そうなん?」とおおらかに受け止めてくれてありがたかった。それからはひたすら勉強の毎日。大好きな化粧品を買いたくても、デパートには行かなかった。買える身分じゃないから、行っても惨めになるだけ。同世代の女性がキラキラして見えて、外に出てもうつむいて歩いていました。大学は英文科で法律に関して何の知識もないし、自分で決めた道だけど、地獄でした。