ボルトン補佐官をはじめとするトランプ政権の強硬派の面々は、「卑怯なコウモリ」が裏切ることを前提にして、その首をどのように斬るかということを考えていると思います。それが彼らの最大の役割だからです。もし、それができないのならば、トランプ政権はオバマ政権と同様に、歴史に汚名を残すことでしょう。
19世紀末李氏朝鮮の「コウモリ外交」
とはいえ北朝鮮には、「コウモリ」を演じているという自覚がありません。なぜならば、それは歴史的に培ってきた彼らのDNAであり、体に染み付いた自然の習性であるからです。
19世紀後半の李氏朝鮮時代に閔妃(びんひ)という人物がいました。彼女は王妃でしたが、夫の高宗に代わり、実権を掌握していました。
中国の歴代王朝は、朝鮮を属国にしていました。閔妃の時代の清(しん)も同様です。閔妃は宗主国の清にすり寄る一方、明治維新後の日本にも接近しました。日本を後ろ楯にすることで、清を揺さぶることができると考えたのです。
日本は閔妃の「コウモリ外交」を知りながら、惜しみなく朝鮮に資金を援助し、技術開発を支援しました。また、日本人の教官が派遣され、近代式の軍隊を創設して軍事教練を施したりもしました。
清は日本に対抗するため、朝鮮への駐在軍を増強し、朝鮮支配を強化します。この時、清の駐在軍を指揮していたのが、若き日の袁世凱でした。袁世凱らの軍勢は朝鮮で略奪・強姦を繰り返し、暴虐の限りを尽くします。こうして清の支配が強まると、閔妃は日本を裏切り、清にすり寄りはじめました。
しかし、この時、日本は閔妃を非難しませんでした。当時の対朝鮮外交の責任者であった井上馨は、閔妃の「コウモリ外交」を、属国ゆえの悲哀として憐れんだのです。
国の創始者が「事大主義」を国是に
清と日本の両勢力が朝鮮半島でぶつかった結果、ついに戦争が始まります。これが日清戦争(1894~1895年)です。閔妃をはじめ、朝鮮の廷臣の誰もが「日本が大国の清に勝てるわけがない」と考え、清にますます追従しました。
しかし、日本が優勢になると、閔妃は清を裏切り、親清派の廷臣を切り捨て、親日派の廷臣を登用し、日本にすり寄りました。その一方で、閔妃はロシアにもすり寄りはじめ、日本の影響力を削ごうとします。ロシアが三国干渉に成功し、日本が清に遼東半島を返還すると、閔妃はロシアへの依存を強めていきます。ここに、閔妃の「コウモリ外交」が極まりました。最終的に閔妃は内乱に巻き込まれ、暗殺されます(*注)。