※本稿は、小山昇『利益を最大にする最強の経営計画』(KADOKAWA)の第1章「『経営計画書』は、『立派な会社』をつくる道具」の一部を再編集したものです。
「共通の認識」をつくり出す「共通の道具」
どんな分野でも、一流になる人は、一流の「道具」を扱える人です。
おいしい料理をつくる料理人は、必ずと言っていいほど、一流の調理道具を持っています。お刺身はナタでも切れますが、刺身包丁を使ったほうが、薄く、キレイに、魚のすじをつぶさないで切ることができます。料理のできばえは、よく切れる包丁にあると言っていいのです。
同じように私は、会社経営も「道具」次第で結果が変わると考えています。
ところが多くの社長は、「立派な会社」をつくるための「道具」が存在することすら知りません。
会社の方針や社長の決定について、社員が共通の認識を持っている会社とそうでない会社では、その差は歴然です。まして、その方針を社員が実行している会社とそうでない会社の差は言うに及びません。
この差の一因は、「共通の認識」をつくり出すための「共通の道具」から生まれています。その道具こそ、「経営計画書」なのです。
「道具」は使われてこそ意味がある
私が社長を務める武蔵野の「経営計画書」は、故・一倉定先生の「経営計画書」を参考にしています。一倉定先生は、激しく経営者を叱り飛ばす姿から、「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持つ経営コンサルタントです。
今から30年ほど前、私は一倉定先生の指導を受け、「経営計画書」をつくりました。サイズはA4サイズ。表紙に厚紙を用いた、重厚な「経営計画書」です。
「<経営計画書>は会社の魂のようなものだから、立派な装丁でつくりなさい」というのが、一倉定先生の教えでした。今から比べるとお粗末な内容でしたが、見栄えだけは今の何倍も豪華で、立派な「経営計画書」をつくったことに、私はすっかり満足していました。
ところが、これが重たい。とても重たい。重たいから、社員はもちろん、社長の私ですら持ち歩くことなく、机の引き出しにしまいっぱなしなっていました。