念のために強調しておくと、被害に遭ったテレ朝の女性記者がアクセスジャーナリズムに傾斜していたと言っているわけではない。むしろ逆である。記者クラブから出入り禁止となるリスクを承知のうえで、福田氏のセクハラ行為を告発したのである。アクセスジャーナリズムと決別しようとしたといえる。
アクセスジャーナリズムがはびこると、記者は事実上、政府や企業にコントロールされてしまう。ネタ欲しさのあまり相手に都合が悪いことを一切報じなくなり、政府や企業を持ち上げる「よいしょ報道」を繰り返すようになる。
記者クラブ内では「特オチ」を嫌がる文化が根強い。「特オチ」とは他社が一斉に同じニュースを報じているなかで、一社だけ蚊帳の外に置かれる状況だ。そのためクラブ内ではどのメディアもこぞって権力側にすり寄ろうとする。こうなるともはやジャーナリズムではなく、事実上「政府広報紙」「企業広報紙」に成り下がってしまう。
テレ朝の対応はピュリツァー賞と正反対
米国にもアクセスジャーナリズムを行う記者はいる。2003年のイラク戦争に絡んでニューヨーク・タイムズのジュディス・ミラー記者が手掛けた「大量破壊兵器」の報道が代表例だ。同記者は「ブッシュ政権の御用記者」のレッテルを貼られ、実質的に業界から追放されている。アクセスジャーナリズムを認めない文化があるからだ。
奇しくも、福田氏辞任のニュースが飛び出す3日前の4月16日に、米国でジャーナリズムの世界で最も栄誉あるピュリツァー賞が発表された。最高格の公益部門受賞作は、権力者によるセクハラ疑惑を暴いた特報だった。
特報を放ったのはニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌。ここにはアクセスジャーナリズムは介在していない。両メディアは内部告発者である被害者側の立場から取材し、権力側の不正を暴いている。
権力側でセクハラ疑惑の矢面に立たされた筆頭格は、米映画界の大物プロデューサーであるハーベイ・ワインスタイン氏だ。ニューヨーク・タイムズとニューヨーカーが同氏のセクハラ行為を暴いたことがきっかけになり、世界的な「#MeToo(私も)」運動が起きている。両メディアとも同氏に嫌われても一向に構わないのである。