「私と一緒に闘ってくれていないのだろうか」

かなりあけすけに幹部社員の現状を嘆き、目の前にいる社長以下役員らに注文するという発言である。このような組合員からの発言や頑張りぶりを主張する組合員の様子に対し、豊田社長も3回目の交渉の終わりに、こう感想を述べた。

「100年に1度の危機感を本当に持っているならば、過去の成果に目を向けている暇はない。今よりももっと競争力を強化するために、何を課題として共有しないといけないのか、何を解決しないといけないのか、それに尽きる。(中略)『要求に応えてくれ』という主張を聞くたびごとに『私と一緒に闘ってくれていないのだろうか』と寂しい気持ちになっていた。明日から各職場で日々踏み込んだ議論がなされ、競争力強化に向けて着々と歩みが進んでいくことを心から期待している」

これまたあけすけな本音の経営者の意見を社長が吐露した。労使が本音をぶつけ合うのがトヨタの春闘の話し合いなのだろうか。

労使がとことん話し合ったからこそ生き残れた

激しい労働争議から12年の年月を経て、トヨタが労使関係を修復した1962年と言えば、先の東京オリンピックを2年後に控え、日本は高度経済成長の時代である。だが、国内の自動車メーカーは乗用車の貿易自由化を目前にし、競争力の強化が叫ばれていた。70年以降も排ガス規制を強化する米マスキー法、石油ショック、日米貿易摩擦と自動車産業は危機に何度も直面した。そのたびに労使がとことん話し合ったからこそ日本の自動車メーカーは生き残れたのかもしれない。

今年の労使交渉の議長を務めた河合満副社長は交渉の最後をこう締めくくった。

「将来、後輩たちが振り返った時、今年の労使協議会が『本当に変わった』という契機であったと思ってもらえるようにしたいと思う」

(写真=時事通信フォト)
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