「ルール」や「常識」に従ったままでいいのでしょうか。人間関係に気をつかって「お人よし」を演じていれば、心はどんどん疲弊していきます。エッセイストで講演家の潮凪洋介氏は、「同調圧力によってもたらされる『愛想笑い』は不毛な人間関係の産物。『愛想笑い』を必要としない対人環境をつくることが大切です」と説きます――。

愛想笑いをやめても摩擦を感じることはない

米メリーランド大学で「笑い」を研究しているロバート・プロヴァイン教授によると、ジョークやユーモアなどによって引き起こされる笑いは、笑い全体の1~2割程度で、残るほとんどの笑いは平凡なコメントのあとや日常的な会話を終わらせるときに生まれるそうです。また、他者といるときは、1人でいるときの30倍よく笑うという研究結果もあります。

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すなわち、笑いとはコミュニケーションを円滑にするための手段なのです。多くの日本人が無意識に用いている「愛想笑い」はその典型でしょう。

仕事上で愛想笑いをやめるとどうなるでしょうか? 目先のことだけを考えると、マイナスは大きいと考えられます。「場の雰囲気」にそって愛想笑いをするのも、1つのスキルだからです。

とりあえず愛想笑いをしておけば、場の雰囲気が険悪になることはありません。しかし、私は20代の頃、あまりに寒い上司のギャグに笑えなかった記憶があります。そのときは会話センスのひどい上司から、「キミはユーモアがないな。面白いことには明るく笑わなきゃ」と注意され、悔しい思いをしました。

一方で、どれだけつまらない上司のギャグに対しても愛想笑いをする同僚がいました。いわゆる「いい人」であり、場の空気を読むのがうまいのです。本音を隠して愛想笑いをする努力が実り、その同僚は上司の覚えもめでたかったようです。

「自分も上司のようなつまらないオヤジになる」

愛想笑いができる人間になるべきなのか、無理をして笑うことはない自分を貫きとおすべきなのか。一時期は迷いがありました。結果、自分の言動は不自然なものになっていたようです。ある日、友人たちと集まる機会があったのですが、その場で「あれ、突っ込みが甘いんじゃない?」「最近、おかしくない? 愛想笑いはやめなよ」とダメ出しをされてしまったのです。

少なからずショックを受けましたが、そのとき、自分がどうすべきかがはっきり見えました。「自分がいるべき環境」と「そうではない環境」をしっかり判断することに決めたのです。「愛想笑いを続けていたら、自分も上司のようなつまらないオヤジになるかもしれない」と考え、愛想笑いに対する拒否反応は確固たるものになりました。

つまらないギャグに強制的に愛想笑いを求めた上司と同じ匂いがする人と関わり合うのを徹底的に避けるようになりました。良い仕事をするため、良い人脈を形成するため、良い人生を送るためです。会社は辞めました。我慢してあの会社に残っていたら、自分も上司のような人間になっていたかもしれません。そう考えるとぞっとします。

私は仕事上での愛想笑いはやめました。それでも現在、私は自分にぴったり合った対人環境で、自分らしく振る舞い、なんの摩擦を感じることもなく仕事をしています。