安倍首相の考えを「特異なもの」と断じた
ファイティングポーズをとる安倍首相に対し、改憲に反対の勢力も敵意をむき出しだ。枝野氏は、1月4日の年頭会見の後「国民のためにプラスになり、立憲主義をさらに強化し、国民が望む憲法改正なら積極的に対応したいが、現時点でそうしたものは感じていない」と改憲の機が熟しているとの安倍首相の見方を否定。さらには「(改憲願望は)安倍さんの趣味ではないか」と、切り捨てている。
そして24日の衆院本会議代表質問では、憲法についての安倍首相の考えを「特異なもの」と断じ「まっとうな議論ができるはずもない」と語った。
時計を11年前の07年に戻そう。この年、1月4日の年頭会見で安倍首相は「新しい時代にふさわしい憲法をつくっていく意思を明確にしていかなければならない。私の内閣として改正を目指していきたい」と語り、夏に予定される参院選で改憲を争点に訴える考えをはっきりさせた。当時、憲法問題については国会の憲法調査会で超党派の議論を重ねてきた。それを選挙の争点にしようという発想は異例のことだった。
一方、当時、衆院憲法調査会の民主党理事で若手論客として台頭してきた枝野氏で「憲法を選挙の争点にしようということは、立憲主義が分かっていない。その意味で安倍首相は究極の護憲派だ」とこき下ろした。
祖父・岸信介元首相の無念を晴らす
2人の論争、11年たった今もそっくりではないか。悲願である改憲を自らの手で成し遂げようという安倍首相。安倍首相のもとでの改憲は断固阻止しようという枝野氏。構図は全く同じだ。日本の改憲論がぐるぐると回りながらほとんど進んでいないことを示すエピソードといえよう。
11年前の論争は、結論から言えば枝野氏が「勝った」。当時の安倍氏の改憲論は、どこをどのように変えようと思っているのか国民に伝わらず、ただ、改憲を達成できなかった祖父・岸信介元首相の無念を晴らそうとしているようにしか見えなかった。安倍氏が改憲を訴えれば訴えるほど、国民は冷めていった。年頭会見の後、「消えた年金」問題も発覚。安倍内閣の支持は落ち7月の参院選で自民党は惨敗。体調も崩した安倍氏は9月、退陣する。一方、枝野氏が所属する民主党は参院選の勝利で、政権奪取の足掛かりをつかんだ。
当時、自民党内では「首相が憲法を政局に利用しようとしたのが、最大の失敗だ」というささやきが漏れた。一方、枝野氏に対しては「安倍退陣の流れをつくったMVPの1人」という声が上がった。