そうしてスペインは没落し、17世紀になると新興国であるイギリスにたびたび戦争で敗れるようになった。スペインが持っていた植民地の多くも、イギリスなどの手に渡ってしまったのだ。

現代日本も税金の無駄遣いに苦しめられている

アダム・スミスのこの警告は、私たち日本人に向けられているようなものでもある。

今の日本は、中世ヨーロッパのように“王室”がそれほど多くのお金を使うことはないし、政治家が私的な大散財をすることもめったにない。

だが、公共施設や公共工事などに莫大なお金を使っている。政治家たちが選挙民に自分自身の影響力を誇示したり、特定の事業者を潤すために、膨大な公共事業を行ってきた。

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特に90年代の公共事業は凄まじいものがあった。バブル崩壊後の景気対策として、日本では10年間で630兆円もの公共事業を行った。

現在、日本の財政赤字は1000兆円まで膨れ上がっている。国は、「この財政赤字は、社会保障費の増大によるものだ」と喧伝している。

しかし、それは詭弁である。社会保障費は、現在でこそ30兆円以上だが、10年ほど前までは20兆円前後だった。この程度の支出が、1000兆円近くの財政赤字の原因となるはずはないのだ。

1000兆円に上る財政赤字の最大の要因は、90年代から2000年代に行った630兆円の公共事業なのだ。

しかも、この公共事業において、国民の役に立つ物はほとんど作られなかった。交通量のない場所に立派な道路を何本も作ったり、使い道のない豪勢な建物ばかりを作ったのだ。

これは、かつてのヨーロッパの君主たちが戦争に明け暮れて巨額のお金を使っていたのと同様か、それ以下の愚行だといえる。

もし、この630兆円の公共事業費の支出がなければ、日本は財政的にこんなに苦しい状態にはなっていない。いや、630兆円の公共事業費を支出したとしても、もっと有効な使われ方をしていれば、これほど少子高齢化が進むようなことにはなっていないはずなのだ。

630兆円のうち、数十兆円でも子どもの教育資金としてプールされていれば、大学生の半分が学費のために借金をするというような状況には陥っていないはずなのだ。

「公的な浪費は一番始末に負えない」

という言葉は、今の日本にこそ当てはまるものかもしれない。

国債が累積した国の末路

国富論では「公債(国債)が累積した国が、それを完全に償還したためしはない。国家の破産宣言(デフォルト)まではなかなかいかないが、貨幣の悪鋳などの詐欺的行為によって借金を踏み倒す」と述べている。