――これまでに放送された回の中でも、「すぐうんちくを言いたがる、俺のこういうところがダメだって思ってるんだろ?」と、われに返って自虐的になる場面がありましたね。

【古舘】本気でそう思っている部分もあるし、「気を付けないとな」とも思っているんです。でも、これもまたいやらしい話で、そうやって先に自省することで「俺はちゃんと己のことを知ってますよ」って、免罪されようとしているところもある。親鸞の「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」という言葉がありますが、自分の中の悪を知っているほうがまともなんだ、と思いたい。

熱を入れて「おじさん論」を語る古舘伊知郎氏。
――自分の欠点に気づいていないよりも、自覚しているほうがまだましだ、と。でも、仕事でもなんでも、年齢を重ねて経験を積むに従って、自分の中の基準が絶対化して、欠点に気づきにくくなりませんか? よくネット上では、世の中のそういう「おじさん」たちに振り回される若い人たちの怒りがぶちまけられています。

【古舘】確かに、経験則ばかりでやっていると、人に間違った指示をしてしまいがちですよね。そこに頼りすぎず、1~2割は“遊び”の部分を作ったり、曖昧さや保留を認める気持ちを持ったりする必要があるんじゃないでしょうか。ドイツの政治家であるオットー・フォン・ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言っています。何かを判断するとき、自分の経験だけに頼るのが愚者で、賢い者は他者の経験も含めた歴史に学ぶ、という意味ですね。経験は、自分が現世で生きている間に積んだものにすぎない。歴史を知らなければそこに凝り固まってしまって、自分だけを頼ってしまうようになる。変な言い方ですが、歴史という後ろの方向に顔を向けて、未来に後ずさっていくことこそ「前向き」なんじゃないかと最近は考えています。