東京・上野動物園で5年ぶりにジャイアントパンダの赤ちゃんが誕生した。前回は残念ながら生後6日で死去したが、今回はすくすくと育っている。年明けの一般公開を前に、イベントや関連グッズなどの“便乗商法“が盛り上がっている。推計によれば、赤ちゃんパンダの経済効果は267億円。なぜ上野はパンダなのか。長年、上野を追いかけてきた経済ジャーナリストが分析する――。

繁殖の実績は“和歌山“が上回る

今年6月12日、上野動物園で5年ぶりにジャイアントパンダの赤ちゃんが生まれた。前回は誕生6日後に死亡したが、今回は順調に育っている。成長の様子が各メディアでも報じられるので、職場や夜の街での話題となっているかもしれない。

パンダの赤ちゃん(30日齢)(2017年7月12日撮影、恩賜上野動物園提供)

だがパンダの誕生や生育なら、国内では和歌山県の「アドベンチャーワールド」の実績がズバ抜けている。同施設では2000年以降、自然交配や人工授精を含めて毎年のようにパンダが誕生しており、これまで15頭の繁殖に成功しているからだ。実際に「上野のパンダばかり騒ぎすぎだ」「和歌山の例をもっと報道するべきではないか」という声も聞かれる。

それでも地元・上野はパンダ誕生に沸き立っている。今回は赤ちゃんの両親である「リーリー」(オス)と「シンシン」(メス)を上野動物園に呼んだ観光連盟会長に取材し、上野の街が盛り上がる理由を分析したい。

上野にとって「パンダは特別な存在」

「267万7372人」(2010年度)→「470万7261人」(2011年度)。

赤ちゃんを抱く「シンシン」(2017年7月12日撮影、恩賜上野動物園提供)

何の数字か、おわかりだろうか。2011年2月21日にリーリーとシンシンが来園し、その前後に上野動物園を訪れた年間入園者数だ。つまり“パンダ効果“で200万人も増えたのだ。

「もちろん増加数が、そのまま『パンダを見に来たお客さん』ではないと思いますが、3年近く“パンダ不在“だった動物園にとって、2頭の来園は起爆剤となったはずです。上野は『西郷隆盛像とパンダ』の街。松坂屋上野店のキャラクターは“さくらパンダ“ですし、地元の製靴メーカーはパンダデザインの靴も開発した。それほどパンダは特別な存在なのです」

こう振り返るのは、上野観光連盟会長の二木(ふたつぎ)忠男氏だ。ちなみに「上野地域の振興活動」では、全体のトップに観光連盟を位置づけ、傘下に各商店街(たとえば上野中央通り商店会、上野中通商店街振興組合など)が連なる。各商店街の会長は副会長として観光連盟を支える。商店街同士の利害対立を防ぎ、“オール上野“を目指すための仕組みなのだという。

上野観光連盟の二木忠男会長

上野動物園に初めてパンダが来園したのは、日中国交正常化の1972年で、「カンカン」(オス)と「ランラン」(メス)だった。日本中で“パンダブーム“が巻き起こり、74年の来園客数は空前の約764万7440人にも達した。2頭の死後も、1980年に「ホァンホァン」(メス)などが来園したほか、1986年には「トントン」(メス)が上野動物園で生まれるなど、「上野といえばパンダ」という時代が続いた。2008年に「リンリン」(オス)が死んでからは、3年間ほど「パンダ不在」だったが、2011年に「リーリー」(オス)と「シンシン」(メス)が来園。その2頭の子供が今回の赤ちゃんパンダである。