戦後、さまざまな暴言があった。吉田茂の「バカヤロー解散」。池田勇人の「貧乏人は麦を食え」。岸信介は安保反対のデモが国会を取り巻いても「それでも後楽園球場は満員である」。いい悪いは別にして、これらは政治家個々の信念から出た言葉である。だが、今の連中が連発する暴言・放言はそうではない。

「日曜日は女房のためにとってある」

女性問題も、妾を持つのは男の甲斐性といわれていた時代だったが、それを差し引いても、現代の政治家とは腹の坐り方が違っていた。

自民党の生みの親といわれる三木武吉は、婦人団体から「先生にはかねて4人のお妾さんがいるとお聞きしますが、先生の清廉な政治活動、只今のお話とは矛盾があるのでは」と質された。

会場は一瞬、水を打ったように静かになったが、三木は言った。「ただいまの質問は、数字的な誤りがございます。実は、4人でなく5人おるのであります。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」

春日一幸民社党委員長も、選挙区で演説中、聴衆から妾の数でヤジが飛んだ。春日、すかさず応じて「むかし三木武吉さんが5人と答えたが、私は6人だ。日曜日は女房のためにとってある」と答えた。

女房に隠れてこそこそ浮気をして、明るみに出ると平身低頭して妻に、有権者にひたすらおわびをするゲス政治家とは、男としての格が違うのである。

「人生いろいろ、会社もいろいろ」

私は、今のように質の悪い暴言・放言が増えたのは2001年の小泉純一郎内閣からだと思う。

あからさまな対米追随外交と新自由主義の導入で、非正規雇用を増大させ格差を拡大させたことはいうまでもないが、この男の下劣な暴言は聞くに堪えなかった。

「この程度の公約を守らないことはたいしたことではない」
「人生いろいろ、会社もいろいろ……」
「自衛隊が行っているところが非戦闘地域」

『戦後政治家暴言録』を著した保阪正康は、小泉発言の数々を戦後最大の失言と書いている。

2003年に始まったイラク戦争で小泉は、「米国による武力行使の開始を理解し、支持する」といち早く表明した。だが開戦の根拠となった大量破壊兵器は見つからず、小泉の判断の正当性が問われたが、小泉は答えられずに逃げ続けた。

こんな男が、今になって原発反対を訴えても、国民の多くの支持を得られるわけはない。

私は、小泉暴言が国内向けの最悪のものだとするならば、国際的な暴言を吐き、救えるはずだったかもしれない2人の日本人の命を失わせた安倍晋三首相のことを忘れてはいけないと考える。