私の人生の40%は巨人とともにあった。あとの40%は競馬で、仕事は20%。そんな私が、野球に興味を失ってからずいぶん経つ。熱狂的なファンだった父親が亡くなったこともあるが、魅力のある選手がいなくなってしまったのが理由だ。

弱体化は「清武の乱」から

長嶋から原へ監督が移り、松井秀喜が50本塁打を打ち12年ぶりの日本一になった。その年のシーズンオフにフリーエージェント(FA)を行使して松井がヤンキースに移ったが、その頃からであろう、私が巨人から離れたのは。翌年は6月に自力優勝が消滅するなど惨憺たる成績で原は辞任する。

読売新聞上層部が巨人軍を単なる所有物、新聞の拡材としか考えていない証左である。

『週刊ポスト』(6/30号)「栄光の巨人軍『失敗の本質』」によると、巨人が弱くなり始めたきっかけはいわゆる「清武の乱」からだそうである。読売新聞の社会部記者から巨人の球団代表になった清武英利ゼネラルマネージャー(GM)は、FAなどで他球団から大物を引っ張ってくるのをやめ、球団改革として「育成選手制度」を推進した。

阪神元球団社長の野崎勝義は、巨人が豊富な資金を使って有望な人材をヘッドハンティングして、若手の育成を始めたら勝ち目がないと思ったと語っている。実際、07年から09年に巨人は3連覇を達成している。

しかし、11年に、留任が決まっていた岡崎ヘッドコーチの降格と、江川卓のヘッドコーチ招聘案が急浮上し、これに対して清武が「渡辺恒雄の鶴の一声による不当な介入」だと暴露し、記者会見を開いたため、渡辺恒雄が猛反論。結局、清武は解任されてしまう。以来、清武の育成路線はタブーになり、FA宣言した選手や外国人選手に頼るやり方が復活した。それが若手の育つ芽を摘むことになり、結果、目に見えるように弱体化していった。

42年ぶりとなる13連敗

そして今年、高橋由伸(1998年入団)が監督になって2年目に、長嶋監督がつくった球団史上ワースト記録11連敗を塗り替え、42年ぶりとなる13連敗を記録した。

高橋でなくとも、だれがやっても今の巨人を優勝させるのは至難である。その上、巨人には伝統的に外国人選手を見る目がまったくない。覚えているだろうか、トマソンという選手がいた。「東京に幽霊が出る。トマソンという幽霊である」と赤瀬川原平がいい「無用の長物」と揶揄され、流行語にまでなった。

巨人の4番でありながら、ただむやみやたらと振り回し見事な三振の山を築いた。2年在籍中477打席で151の三振。3打席に1回は三振、それも多くは空振りであった。打率は2割4分9厘であった。