おやじ同士が本気で殴り合う、だけど安全第一。そんなボクシングの大会が静かな人気を集めている。30歳以上が対象の大会「ザ・おやじファイト」では、アマ同士が本気で殴り合う。地味なスパーリングとは違い、入場曲があり、勝てばマイクアピール、チャンピオンベルトもある。大会のため30キロ減量した43歳のカメラマンに密着した――。

代表作は『まいにち、修造!』

5月13日(土)、小雨が降りしきるなか、中高年を対象にしたボクシングの試合、「ザ・おやじファイト 横浜大会」に出場する友人を応援するため、JR関内駅にほど近いラジアントホールに向かった。

試合前の永井氏と熊野ジムの人たち(撮影=宮田伸広)

友人の名前は、永井浩(43)。プロのカメラマンである。最近の代表作は、2014年発売で、累計100万部を突破した日めくりカレンダー『まいにち、修造!』(PHP研究所)だ。このカレンダーには、松岡修造氏の熱い言葉に加えて、氏の前向きな表情やポーズがたくさん収められている。被写体の表情を限界まで引き出す永井カメラマンの技がなければ、あそこまで売れなかったかもしれない。永井の撮影は、松岡氏の言葉に負けず劣らず熱いのだ。

カレンダーの件はさておき、永井がボクシングを始めた背景には、人生を大きく転換させる出来事があった。離婚である。

「いま小学校4年生になる子供がまだ1歳のとき、妻が子供を連れて実家に帰ってしまったのです。私のほうから離婚調停を申し立てて、正式に離婚したのが39歳。ボクシングを始めたのは39歳と11カ月の時でした」

妻に恨みはないものの、子供を実家に連れて行かれたとき、それまで大切にしていた、温かい家庭を作り、家族の絆を大切に生きるという「大きな物語」が崩れ去ってしまったと永井は言う。離婚調停期間中は、このまま子供に会えなくなってしまうのではないか、父親が居ないことにされてしまうのではないかという激しい恐怖感が、頭を占領した。

「調停をやっていた2年半は子供に会える状況を作るのに必死でした。でも皮肉なことに、それが自分の生きがいになっていたんです」

年6時間しか会えない

私にも同じ経験があるから、永井の気持ちは理解できる。調停期間中に「断腸の思い」とはこういう時に使うのかと思う出来事が、何度もあったものである。

調停を終えて、永井は年に3回、子供に会える権利(面会交流権)を手にした。1回当たり2時間。しかも面会交流を支援するNPO法人の立ち合いの下である。年にたったの6時間、しかも他人が介在する状況でしか子供に会えないのはあまりといえばあまりだが、でもまったく会えないよりはましだ。

「何年ぶりかで子供の顔を見た瞬間に、ああ、やっぱり自分の子供なんだと思って、嬉しくて……。(調停は)終わったんだ。新しいことをやろうと思いました」

私は、不合理な調停の結末や子供に会えない寂しさ、悔しさをサンドバッグにたたきつけてきたのだろうと勝手に想像していたのだが、永井の話を聞く限りそうではないらしい。いったい何が、永井をボクシングに向かわせるのだろうか。