6カ国語で管理するチェコの工場

8月の末から9月の初めにかけて、1週間強という短い日程でポーランドとチェコの日系企業の工場を見せていただく旅に行ってきた。ポーランドのキェルチェという町に始まり、チェコのピルゼンに終わる、長い距離を車と列車で乗り継いだ旅であった。合計、7つの工場(精密機械部品、自動車、家電の3業種)を見せていただき、その7社の現地法人の社長(あるいは日本人責任者)にくわしくお話を伺うことができた。

私は、1989年9月にポーランドを初めて訪問して以来、ポーランドにもチェコにも何回も行っている。しかし、前回の訪問は2001年のポーランドであった。その後の変化はじつに大きかった。たとえば04年にポーランドもチェコもEUのメンバーとなり、また07年には国境のパスポートコントロールもなくなった。人の移動がかなり完全に自由になったのである。日系企業についても、こうしたEU加盟が後押ししたのであろうが、この地域への進出がこの7年間の間にかなり進んでいた。今回訪問した企業はほとんどすべて、90年代の末に進出を検討し始め、00年代前半に生産を本格的に開始したところであった。

この旅は、ポーランドやチェコという旧共産圏諸国がEUのメンバーになってからの変化の激しさを知ると同時に、日本企業の国際展開の鍵要因について考えさせられる旅となった。この稿では3つの鍵要因について、考えてみよう。

その第1は、「労働市場の変化の早さ」である。その変化の早さを織り込んで、国際進出の計画を練る必要がある。多くの日本企業が海外現地生産に乗り出す際の立地条件として考えるのが、労働供給の豊かさと安さである。たとえば、同じEU地域への供給基地を選ぶ場合にも、どの国のどの地方にするのか。

チェコは、EUとの物流のよさと質の高い労働力が得られるという理由で選ばれやすい。ポーランドはさらに労働供給が安いことが魅力になることが多い。物流のよさは短期間にはそれほどドラスティックには変化せず、仮に変化してもいいほうに変化する。しかし労働供給は思いもかけないスピードで悪いほうへ変化する。とくに、人口の小さなチェコ(人口1000万)では、日系を含む外国企業の進出が急増するだけで、労働市場がすぐにタイトになってしまう。労働供給が巨大な中国とは、かなり事情が異なるのである。

チェコのある日系企業では、従業員5000人弱の内訳が、チェコ、スロバキア、ベトナム、ポーランド、モンゴル、などと分散していた。それもかなり均等の分散で、工場内のさまざまな掲示は6カ国語でなされている。ベトナム、モンゴルとはじつに意外だったが、旧共産圏時代から労働力の交流があったのだそうだ。この企業も進出当時はチェコ人が圧倒的に多かったそうだが、現在のその地域の失業率は1%にまで下がり、チェコに住みついたベトナム人、モンゴル人を雇うようになったのである。ベトナムやモンゴルから短期労働者を移入させている日系工場もある。それを請け負うエージェントがあるのである。

一方、ポーランドでは、EU加盟とともに若い人を中心にイギリスなどへと出ていくポーランド人が急増して(100万人ともいう)、ポーランド国内の労働需給が逼迫し始めたそうである。しかし、EUへ移っても結局夢かなわず、ポーランドへと帰国する人も今年辺りから増え始めたという。たった4年で、こうして変化していく。

労働市場はじつに移ろいやすい。どこの日系企業も、進出当時はこんな労働供給状況になることなど想定外であったようである。とくに人口の小さな国ではその傾向が強い。まさか、チェコで6カ国語の工場管理をしようとは、思ってもいなかっただろう。しかし、そうなりかねないことをあらかじめ覚悟する必要がある。そして、労働市場が変化したら別の国に生産基地を移せばいいと安易に考えないほうがいい。なぜなら、日系企業の工場はかなり投資金額の大きい、「重い」工場になりやすいからである。それが、日本企業の国際展開の第2の鍵要因「経営能力の移転」につながる。