運動すると、脳の学習機能を支える基本要素にどんな指示が出されるのか? 運動は、気分や不安や注意力にどんな影響を及ぼすのか? どうやって私たちをストレスから守り、脳の老化をいくぶんでも逆戻りさせるのか? そして女性に関して、ホルモンの変調がもたらす厄介な症状を運動がどのように阻止するのか?

そういったことを科学的に説明していきたい。ランナーズハイのような、あいまいな概念について語るつもりはない。そもそも、ここで語るのは概念ではない。実験室のラットで計測し、人間において確認した具体的な変化なのだ。

脳は使わなければ萎縮する

運動すると、セロトニンやノルアドレナリンやドーパミン──思考や感情にかかわる重要な神経伝達物質──が増えることはよく知られている。読者の皆さんも、セロトニンについては耳にされたことがあるだろうし、その不足が抑鬱に関係していることもご存知かもしれないが、私が会ってきた多くの精神科医でさえ、それ以上のことはあまり知らないようだ。

強いストレスを受けると脳の何十億というニューロンの結合が蝕まれることや、鬱の状態が長引くと脳の一部が萎縮してしまうこと、しかし運動をすれば神経科学物質や成長因子が次々に放出されてこのプロセスを逆行させ、脳の基礎構造を物理的に強くできること、そういったことをほとんどの人は知らないのだ。

実際のところ、脳は筋肉と同じで、使えば育つし、使わなければ萎縮してしまう。脳の神経細胞(ニューロン)は、枝先の「葉」を通じて互いに結びついている。運動をすると、これらの枝が生長し、新しい芽がたくさん出てきて、脳の機能がその根元から強化されるのだ。

ここ数年で発見された驚異的事実

神経科学者たちは、運動が脳細胞の内部──遺伝子そのもの──に及ぼす影響を研究し始めたところだ。生物の基礎である遺伝子レベルでも、体の活動が心に影響することを示す兆候が見つかっている。

また、筋肉を動かすとタンパク質が作り出され、血流に乗って脳にたどり着き、高次の思考メカニズムにおいて重要な役割を果たすことがわかってきた。

そうしたタンパク質群にはインスリン様生長因子(IGF-1)や血管内皮成長因子(VEGF)などがあり、その発見によって、心と体の結びつきを新たな角度から見られるようになった。神経科学者がこうした因子の機能に注目し始めたのはここ数年のことだが、続々と新しい発見がなされ、驚異的な事実が明らかにされている。

脳のミクロの環境でなにが起きているかについては、わからないことの方がはるかに多いが、すでにわかっていることだけでも人々の生活は変えられる。そして、おそらく社会も変えることができるはずだ。

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