「英世と一葉はお金とのつき合い方が下手すぎた」というのは、経済評論家の加谷珪一氏だ。英世については、次のように分析する。

「もともと恵まれた環境の生まれではないのを、医学という一点だけでなんとかカバーしようとするので、全神経がそこに向いてしまったのでは。でも日本人はそういう不器用な生き方をよしとする雰囲気があります。逆に何でもそつなくこなす人は人気がないですね」(加谷氏)

その点、諭吉は「個人が独立自尊の精神で生きていくためには、お金は必要欠くべからざるもの」と持ち前の合理主義で考えた。それが日本人にはドライすぎると感じられ、守銭奴的なイメージにつながったのだろうと加谷氏は指摘する。

こうして見てみると、結局のところ3人ともお金に関する執着は人一倍強かったのではないか。もし彼らが現代によみがえり、お札に印刷された自分を見たら、一体どんな顔をするだろう。

▼「お札のカオ」3人の生涯

<福沢諭吉の生涯>
●1834年 大坂・堂島にある中津藩蔵屋敷で生まれる。
●1855年 大坂の緒方洪庵の適塾へ入門。 2年後、塾頭に。
●1856年 兄三之助が病死したため中津に帰り福沢家を継ぐ。
●1858年 藩命で江戸へ出府、中津藩中屋敷に慶應義塾の起源となる蘭学塾を開く。
●1859年 横浜見物を契機に独学で英学を学び始める。
●1860年 咸臨丸で渡米、帰国後幕府の外国方に雇われる。
●1862年 幕府の遣欧使節団に随行して、ヨーロッパ各国をまわる。
●1868年 塾名を「慶應義塾」と定める。
●1882年 日刊新聞『時事新報』を創刊。1862
●1901年 2月3日、東京・三田の自邸で死去。享年66歳。

<樋口一葉の生涯>
●1872年 5月2日、東京府庁構内(現在の東京都千代田区)で生まれる。
●1889年 父の則義が事業に失敗し、同年7月に死去。樋口家を継ぐ。
●1891年 文学活動を始め、「一葉」の筆名を使用。小説家として生計を立てるため、東京朝日新聞小説記者の半井桃水に師事。
●1894年 小説『大つごもり』を発表。
●1895年 小説『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』を発表。
●1896年 『文芸倶楽部』に『たけくらべ』を一括掲載、森鴎外や幸田露伴らが絶賛。しかし、肺結核が進行しており、11月23日に死去。享年24歳。

<野口英世の生涯>
●1876年 11月9日、福島県三ツ和村三城潟(現・猪苗代町)で生まれる。
●1878年 1歳のとき、囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負う。
●1897年 医師資格取得。高山歯科医学院講師となる。
●1898年 伝染病研究所助手となる。英世と改名。
●1904年 ロックフェラー医学研究所の一等助手となる。
●1911年 梅毒スピロヘータの純粋培養に成功。
●1918年 エクアドルにて、黄熱病原体を発見。
●1928年 5月21日、西アフリカ・アクラで黄熱病研究中に、黄熱病にかかり死去。享年51歳。

加来耕三
歴史家・作家。1958年生まれ。81年、奈良大学文学部史学科卒業。学究生活を経て、84年に、奈良大学文学部研究員。 現在は大学・企業の講師を務めながら、歴史家・作家として著作活動を行う。
 
加谷珪一
経済評論家。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。野村証券グループの投資ファンド運用会社を経て、コンサルティング会社を設立し代表に就任。
 
亀田潤一郎
税理士。1967年生まれ。大学卒業後、税理士事務所、経営コンサルティング会社を経て2003年税理士開業。中小企業経営者向けの「資金繰り改善コンサルタント」として活躍中。
 
(撮影=大沢尚芳、永井 浩)
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