世界大不況の引き金を引いたリーマン・ショックから1年が経った。沈没する企業が続出する一方、JPモルガン・チェースやゴールドマン・サックスなど金融猛禽類たちは即、復活を果たしている。両者を分けたものは何だったのか? 国際経済小説の第一人者が、その内実をレポートする──。

ちょうど2008年の今頃、リーマン・ブラザーズが破綻し、世界は大揺れに揺れていた。

それから1年が経ち、世界経済は、不安を抱えながらも回復に向かいつつある。当時は倒産の可能性も囁かれたゴールドマン・サックスは、2009年上半期の純利益が52億4900万ドルに達し、早くも復活してきた。

ここ半年くらいで、金融危機に関する政府の調査や関係者の手記などが出版されるようになり、危機に至るまでの詳細が明らかになってきた。それらを読んでいくと、危機の根源的原因は人的要因であることがわかる。勝者と敗者を分けたのは、突き詰めていえば、仕事に取り組む姿勢の違いである。

リーマン・ブラザーズのCEOだったリチャード・ファルド氏。現場感覚のなさが命取りになった。(写真=AP Images、PANA)
リーマン・ブラザーズのCEOだったリチャード・ファルド氏。現場感覚のなさが命取りになった。(写真=AP Images、PANA)

最大の負け組は、158年の歴史を持ちながら破綻した名門投資銀行リーマン・ブラザーズだ。サブプライム関連をはじめとする多くの証券化商品の在庫を抱え、それが大幅に値下がりしたために巨額の損失を出し、同時に、資金繰りもつかなくなって破綻した。

同社の不良債権部のトレーダーだった米国人ローレンス・マクドナルドらが著した「A Colossal Failure of Common Sense」(邦題『金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか』)には、同社の債券部門がサブプライム問題に気づき、経営陣に対して何度も警告を発したが、無視された経緯が描かれている。サブプライム問題に影が差し始めたのは2006年に入ってからだが、債券部門では、2005年の前半から、世界的金融危機の可能性を予測していた。

いち早く問題に気づいていたのは、アナリストやトレーダーたちで、その中で最も地位が高かったのは、マイケル・ジェルバンドだった。

ミシガン大学のMBAで、リーマン勤務が20年になる40代半ばの米国人男性である。グローバル債券部門のトップ(全世界の債券、不良債権、LBOローン、コモディティ、デリバティブなどを統括する責任者)で、会社の経営委員会のメンバーであった。

2005年6月7日、午前7時からの債券部門全体のミーティングで、ジェルバンドは30ページの詳細な資料を出席者たちに配布し、「米国の不動産市場は、ステロイドを使っているスポーツ選手のようなものだ」と喝破した。当時、米国ではNINJA(no income, no job and assets)ローンなどという無収入・無職・無資産の人間まで住宅ローンを借りることができる狂乱の住宅ローン全盛期だった。

しかし、ジェルバンドは、近い将来、バブルは破綻すると予想した。彼の指揮下の不良債権取引部門では、カリフォルニア州のニューセンチュリー社をはじめとする住宅ローン会社の株をカラ売りし、それらが破綻すると同時に莫大な利益を上げた。

しかし、ジェルバンドらの警告は社内で無視された。反対派の急先鋒は、サブプライムその他の住宅関連証券の引受け・販売で巨額の利益を上げていた住宅ローン部門だった。同部門トップのデービッド・シェールらは、経営委員会ですべての高コストのプロジェクトに反対票を投じ続けるジェルバンドに「アメリカでは1929年の世界恐慌以来、住宅価格が下がったことはない!」と食ってかかった。

ジェルバンドは、リチャード・ファルドCEOに対して、不動産関連の引受けや保有資産を減らすべきだと進言した。しかし、ファルドは彼の説明を理解することができず、「なぜできないかの言い訳は聞きたくない。きみはもっとクリエイティブになり、どうやったらできるかを言いたまえ。きみはあまりにも用心深すぎる」と叱り飛ばしただけだった。

※すべて雑誌掲載当時

(写真=AP Images、PANA)