世界大不況の引き金を引いたリーマン・ショックから1年が経った。沈没する企業が続出する一方、JPモルガン・チェースやゴールドマン・サックス など金融猛禽類たちは即、復活を果たしている。両者を分けたものは何だったのか? 国際経済小説の第一人者が、その内実をレポートする──。
ファルドCEOは当時60歳。元々はコマーシャル・ペーパーのトレーダーである。トレーダー出身の投資銀行のトップは、普通、トレーディング・フロアーにしょっちゅう顔を出すが、彼は、毎朝運転手付きの車で出勤すると、専用のエレベーターで31階にある風呂と会議室付きの社長室に直行し、3階や4階にあるトレーディング・フロアーには姿を見せることは決してなかった。
このあたりは、葉巻をくゆらせながら熊のようにトレーディング・フロアーを歩き回り、自らも売り買いを執行していたソロモン・ブラザーズの元CEOジョン・グッドフレンドなどとまったく違っている。
一方、CDO(債務担保証券)やデリバティブであるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などの金融商品の仕組みやリスク、および金融市場の構造は2000年前後から急速に複雑化し、単純なコマーシャル・ペーパーのトレーダーだったファルドは、現場から離れた象牙の塔にこもったことで、市場に置き去りにされた。
リーマンの取締役会の10人のメンバーのうち半数は、海軍少将、スペインのテレビ会社、美術骨董品商サザビーズ、劇場プロデューサーなど、金融とは縁遠いバックグラウンドの人々で、複雑な金融商品や金融市場を理解する力はなかった。
また、リスク管理委員会は、ファルドCEOによって選ばれた人々で作られ、年に1、2度開かれるだけで、日々刻々と変化する巨大で複雑なリスクを管理するにはほど遠い状態だった。取締役会やリスク管理委員会が機能していないのは、2001年に破綻したエンロンとまったく同じである。
ファルドは、2007年に入って、サブプライム問題の顕在化でリーマンの尻に火が点いたにもかかわらず、力を誇示して市場の懸念を一蹴しようと、ヘッジファンドや不動産の大型買収にのめり込み、ますます傷を深くした。一方、ジェルバンドは説得を諦め、2007年5月に退社した。
ファルドCEOは、2008年4月にポールソン財務長官と私的な夕食をとったが、自己資本の増強などを求めるポールソン(元ゴールドマン・サックスCEO)に対し「わたしはきみより長くCEOをやっている。仕事のやり方について指図はうけない」と啖呵を切り、これが土壇場になって米国政府の支援を得られなかった一因であるともいわれる。
かつてUFJ銀行の検査担当常務が、金融庁の幹部と一橋大学時代から仲が悪く、そのために徹底的にやられて検査忌避で逮捕され、銀行も消滅したというエピソードを髣髴させる話である。