なんの後腐れもなく別れられる関係は「知人」です。
よろしかったでしょうか?
方法は、なくはないのかもしれません。ただし基本法則は、「後腐れのなさのコストは、親密度(もしくは依存度)に比例する」ということです。
さらにむずかしいのは、親密度や依存度を、片方だけからは測れないということです。
自分の側だけから測ってさっぱりすればよしというのなら、失踪すればよいのでは? 関係者の目の前から煙のように消える。そして縁もゆかりもない土地で暮らす。そんなノウハウ本や実話本もあったかと思います。興味があればそちらをご一読ください。
厄介なのは、人間は、親密圏というべきものがないと生きていけない、ということですが。
相手からの親密さをある程度担保したまま、ある程度、後腐れなく切れる方法はおそらくたったひとつ、慰謝料を言い値で払うことでしょう。
最終手段として、いささか自己破壊的ではありますが、「愛想を尽かされる」という奥の手があります。馬鹿げたビジネスに手を染め借金を繰り返し破産するなどどうでしょう?
自分が何であり、人に何を期待されていたか、とことんわかる体験かもしれません。それはそれで人生の苦行僧を思わせ、ある種の文学のようですらあります。そのとき人生そのものに希望が感じられなくなって厭世的になるのもまた、コストのひとつかと思われます。コスト。いいじゃないですか。
だって、とつぜん「無関係」になってもかまわないと親密な人から思われるような人は、誰から見ても魅力がない。もちろん自分自身から見ても。そうは思いませんか?
(大沢尚芳=撮影)