他人より高い収入を得たいのが、人間のDNA
フランクは、人がなぜ地位財を追求するかについて、「環境適応をめぐる進化の賜物だ」と説明しています(『目からウロコの幸福学』ダニエル・ネトル著)。われわれの祖先が子孫を残せるかどうかは絶対的な価値である「健康」ではなく、相対的な価値の「地位」に左右されてきました。つまり、自分にそれほど体力がなくても他者がそれより劣れば、食料も配偶者も得られるわけです。
つい地位財を追求してしまうのは、進化の賜物。避けられないことなのです。いわば、DNAに刻み込まれたホットな衝動(人間の衝動的な欲求を動かす「ホットシステム」)に突き動かされて我々は地位財の追求にまい進しますが、全員が全員に対して比較優位になる状況というのはありえません。
そして、我々はこの目の前の地位財という短期的な報酬を得ようというホットな衝動のために、非地位財の長期にわたる報酬を犠牲にしてしまいがちです。
どこかで同じようなことを聞きませんでしたか? そう、以前、お話したマシュマロテストです。マシュマロテストでは、たとえば目の前のケーキを食べるという短期的な報酬を得ることを断念して、健康を維持するという長期の報酬を手に入れることが求められました。これこそが理想的な対応でした。このことと同じことが、財・収入の配分(何にお金をかけるのか)という分野でも求められるのです。
地位財という目先の報酬を犠牲にして、それ自体に価値があり喜びを得ることができる非地位財という長期の報酬を手に入れる必要があるということです。
とはいえ、地位財を追求したいという誘惑を完全に克服することは困難です。ニューカッスル大学心理学部教授のダニエル・ネトルはこんな例を挙げています。
「自分の同僚のひとりが企業社会での生存競争に見切りをつけ、みずからの手でボートを作り、貧しいながらも悠々自適の暮らしを始めようとしたら、わたしたちはちょっと見下すことでしょう。けれども“自主性”と“所得”をまったくちがう見方でとらえることで、おそらく彼は今よりずっと幸せになるでしょう。ただ、位置的なもの(地位財のこと)を求めたいと思う誘惑を、克服しなければならないだけです」(同著)
非地位財を求めることこそが本質的な価値の追求につながるにもかかわらず、我々のDNAは我々に競争することや、地位財を追い求めることを強いてきます。
企業社会での生存競争から降りた人を社会の落伍者という見方で、あるいは低所得者という見方で評価してしまうのは、地位財のほうからの視点が働いているからに他なりません。