「縁側」の感覚がとり入れられた空間

その発想は、日本家屋伝統の「縁側」を販売の場に持ち込むことだった。

縁側は、昔からわれわれ日本人がなれ親しんできた、内でもない外でもない、あいまいとしている空間だ。なんとなく縁側に腰をかけて、内の人間と、外の人間がことばを交わしながら相手をながめる。外の人間はそのまま去ることもあれば、内の人間が相手をさらに内へと招き入れることもある。お互いがなんとなく打ち解けた雰囲気になる。いやな緊張感から開放され、肩の力が抜けるのだ。そこには、最近なぜか商業の場で流行している“おもてなし”の姿勢にあるなんとはなしのうさん臭さのようなものは全くない。というのも、最近ことさら接客の際のサービス精神としてもてはやされている感のある“おもてなし”という概念には、客と受け入れる人間との間の対立関係が想起され、無意識のうちに両者の利害感覚が入り込んでくるからだ。

これを乗用車の販売店に置き換えると、店舗スタッフが、自動ドアの内側から外側の来店客に向かって「いらっしゃいませ」(最近はどこかのテーマパークに刺激されたのか、「こんにちは」ということも多い)と語りかけ、意識するにしろしないにしろ、“おもてなし”という両者が互いに向かい合う空気をつくりあげてしまう。誇張して表現すれば、展示してあるクルマをはさんで、双方が語り合うという環境になっている。

ところが、「縁側」の空間に居るという空気を共有しているとなると様子が一変する。客は縁側で展示してあるクルマをながめる。そのうちなんとなく(それとなく、か)店舗スタッフが語りかけてくる。その視線が向いているクルマを両者は肩を並べるように同じ方向にながめる。もし、こうしたシーンが生まれると、これは従来にはなかった斬新な販売スタイルになる。間違いなく、この高田馬場店はそんな環境になるような店舗づくりをしている。具体的には、歩道から直接足を踏み入れられる開放的な空間を設け、そこに10数人がゆったりと座れる椅子とテーブルが用意されている。歩道とこの空間にはなんの仕切りもない。街角の公園と見紛うばかりだ。そしてその空間にマツダ車も展示してある。この空間と店舗の間にあるガラスの仕切りを開放すれば、両者が空間的にもつながる。そこにカフェがしつらえてある。

つまり、こうした“縁側”の感覚をとり入れることによって、従来の乗用車の販売店には希有な、内と外との一体化を試みているのだ。