評伝『白洲次郎占領を背負った男』(講談社)の著者、北康利氏(49歳)は、08年6月末に早期退職制度でみずほ証券を退職、作家として一本立ちした。

「物凄く迷ったけど、一番社会に貢献できて、自分自身もハッピーなのはどっちの仕事か、よく考えた末の結論です」

在職中の2005年に上梓された同書の発刊日は8月2日。北氏の亡父の命日だという。「本を書き始めた最大のきっかけは、1998年に親父が死んだことなんです」――北氏はそう回想する。

北氏は東大法学部卒業後、旧富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。資産証券化のプロとして鳴らしたが、みずほFG発足と事業統合後の人間関係に疲れ、そこに父の急死が重なった。

「65歳、勤務先からリタイアしたばかりで、ガンが発見されてわずか3カ月。老後を本当に楽しみにしていたのに」

父子で好きだったゴルフをやめて、土・日に時間ができた。父へのはなむけにと、両親の出身地である兵庫県三田(さんだ)市の郷土史に手をつけた。

これが、意外に面白かった。

「経済の実務をやっていたから、文学系の人とは違った視点で追究できる」

資料集めや執筆はすべて東京。1日20冊超の速読が得意技だ。付箋を常時持ち歩き、平日は昼休みに都内の図書館を巡回。土・日は神田の古本街巡りか、国会図書館で資料を大量にコピーした。『北摂三田の歴史』の原稿は、三田の地元新聞社に持ち込んだ。費用は新聞社200万円、北氏が100万円負担したものの、まったく売れなかった。

神戸新聞社から出した2作目、3作目も売れず。三田出身の“全国区”を探したら白洲正子、次いで夫の次郎の名が。

「通産省をつくった人らしいと知り、経済の世界なら、と書くことに決めた」『白洲三代』と題し、次郎とその父、祖父を調べ、大量の原稿を書いた。

「神戸新聞に断られ、講談社に勤める高校の先輩に持っていったら、『アホ、最初から上・下刊出すつもりか』と怒られ、分量を半分にブチ切られた(苦笑)」

資料だけで書いた『白洲三代』に、いわば命が吹き込まれたのは、白洲の長男に会ってから。アポなしで、いきなり自宅の呼び鈴を押した。「怖かった。でも、誰にも会わないと評判の長男が、『若いのに地味なことをコツコツやっている』と、感動して会ってくれた」。

何度も話を聞き、最後の半年で執筆に集中した。

「長男にお会いできたのは、飛び込み営業をやっていたから。文章をまとめる力は、A4 1枚の稟議書や外債担当時のFAXのやり取りで鍛えた。サラリーマンの潜在力は、捨てたもんじゃないですよ」

白洲本の続編、福沢諭吉、松下幸之助に続き、09年4月には吉田茂の評伝を上梓し、一本立ちも板に付いてきた。