孫権のうわべに囚われず、大切なものを見抜く眼力

三国時代の一角を占めた南方の呉で、3代目として生まれた人物が孫権です。父(孫堅)、兄(孫策)が築いた基盤を守り、部下を団結させて大いに発展させました。三国志のクライマックスの1つ、赤壁の戦いは孫権の「曹操と戦う!」決断で生み出されたのです。

『実践版 三国志』(鈴木博毅著・プレジデント社)

曹操の次の文帝の時代、魏は呉に高価な贈り物を要求したことがありました。珍しいお香、真珠、象牙、サイの角、翡翠などです。しかし荊州と揚州から呉は毎年貢納の品をすでに魏に差し出していました。

追加の要求という魏の無礼さに、呉の群臣は断るべきと孫権に伝えます。

しかし孫権は涼しい顔で、古代中国の恵施という人物の言葉を紹介したのです。

「ここにある人がいて、その愛し子の頭をなぐりつけたくなったとする。しかし石をなぐることでそれに代えた。息子の頭は大切なものだが、石はどうでもよいものである。どうでもよいもので大切なものの代わりをさせた。なにの不可があろう」

続けて孫権はこう言います。

「いまわが国は、西方の蜀、北方の魏と事をかまえており、江南の民衆たちは主君を生命と恃んでいる。彼らこそおれの愛し子ではないか。魏帝が求めているものは、われわれには瓦石にすぎぬ」(共に『正史三国志呉書I』)

孫権は表面的なこと、本質から外れたこと、メンツにこだわりませんでした。自国の領土や国民の安全に比べたら、高価なモノでもたかがモノに過ぎないのです。

表層的なこと、自分のメンツなどから自由に離れ、合理的な判断ができること。乱世の英雄の一人、孫権が皇帝として人生を全うできた理由でもありました。

●それは本当に重要なことか?
●両者を比較して優先順位の高いものはどちらか?
●くだらないメンツにこだわっていないか?
●名よりも実をとれているか?
●くだらない建前論に縛られていないか?

呉の孫権は、赤壁の戦いでは劉備と結んで曹操を打倒し、曹操の息子の曹丕が皇帝になったときには、魏に臣従に近い形をとりました。関羽が魏の樊城を囲み、勢力を拡大しそうな時には、蜀の関羽を背後から襲い敗死させます。蜀の劉備は、義弟関羽の死に怒り、222年に呉を大軍で攻めますが呉の陸遜に撃退されます。

ところが劉備の侵攻と前後して、魏の曹丕が曹休、張遼らを派遣して呉を侵略しました。