餃子は大ざっぱに作って大ざっぱに食べるもの

筆者も思うのだが、餃子に限らず、ラーメンでもカレーでもそばでも、なんだかやかましすぎる気がする。こだわりだの究極だの至高だのと大げさである。もちろん、特別においしい餃子もあるだろうが、そのために高いお金を出したり、わざわざ出かけて行って行列に並んだりするのは面倒だ。ふつうでいい。たいていの町のラーメン屋、中華屋には餃子があり、それなりにおいしい。それで十分だと思う。

東海林さだお氏が、作家陳舜臣氏の子息である陳立人氏に餃子づくりを教わる話がいい。餃子の皮づくりでは、強力粉と薄力粉の配合などを気にする東海林氏に、あまり難しく考えなくてよい、それほど綿密にする必要はないと陳氏はアドバイスする。

「餃子なんてね、大ざっぱに作って大ざっぱに食べるものなんです」

皮の形も「まん丸じゃなくてもいいんですよ、だいたい円形になれば」とおう揚だ。具を包む際に難しいヒダヒダづくりも、いいかげんでよいとのこと。

なーんだと思い、それはそうだよなと思う。餃子は、中国では家でつくって食べるごくごくふつうの家庭料理なのだから。

本書は写真もいい。特に表紙とその見返しの光景がたまらない。気取った感じがなく、いかにも大衆食らしい餃子のおおらかさ、庶民らしい日常の雰囲気が伝わってきて、ああ食べたい、いますぐ一杯やりたいという気持ちがわきおこる。

というわけで、出かけるとしよう。梅雨まっただ中のジメジメムシムシと暑い夕刻、近所のいつもの中華屋。この店は1皿240円の安さで、パリパリ、ジュワーっとうまいうえ、下町特有の焼酎ハイボールが飲めるのがうれしくて、いま一番気に入っている餃子の店なのだ。