ダイエーのシンボル店舗が閉店
5月5日、ダイエー碑文谷店が最後の営業日を迎えた。
ダイエーがイオンの100%子会社となり上場廃止となって1年と数カ月、1960年代以降、常に業界の先頭に立って流通革命を起こしてきたダイエーのシンボルともいえる店舗が閉店となった。
碑文谷店は、エンパイア・ステートビルディングやホテル・ニュージャパン買収などで知られた横井英樹氏が、当時事業展開していたボーリング場の建設中だったものを「スーパーマーケットとして使いませんか?」と中内功氏に持ちかけたのがそもそもの始まりである。
1970年代なかば、折しもボーリングブームが一気に終焉を迎え、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのダイエーに目を付けた横井氏。家賃は最高時月額1億円にもなる。吹っ掛けたものだが、こんな好立地は二度と出ないと中内氏は二つ返事で引き受けた。しかし、単なるスーパーマーケットにするだけでは芸がない。
ダイエーは当時、米国のコンサルティング会社ブーズ・アレン&ハミルトン社(現ブーズ&カンパニー)を雇い、売り場の商品分類をメーカー別から生活シーン別に組み替える「ニュー・コンセプト(ダイエー社内の略称:ニューコン)」という取り組みをしていたが、このニューコン第1号店として、1975(昭和50)年4月1日に華々しくオープンしたのが碑文谷店だった。これまで、冷蔵庫もテレビも電化製品というくくりで同じ売り場に並んでいたが、テレビは余暇を楽しむ分野として「レジャータイム」という分類でステレオやおもちゃと同じ売り場に並ぶなど、当時としては画期的な売り場改革だった。