課長クラス500人と直接対話

講演会終了後のグループ懇談では、質問一つひとつに答えていく嶋本会長。

揺るがないというのもリーマンショックのようにどうしようもない外部環境に影響されるので、容易なことではありません。それでも環境が悪いからと諦めるのではなく、自分たちの強みをうまく活かすことを考えるようにしました。

最後に、伝えることの難しさ。社長になって一番に願うのは、経営の思いと社員の思いの一致です。全員が一丸となって事業に当たれるのが会社として最高の形です。6年間、それを目指してきましたが、もちろん簡単ではありませんでした。

自分の思いを役員や部長に伝えても、その下の社員は、「そんな話があるんですか」といった具合で、まったく伝わっていません。かといって、全社員を集めて話してみてもやはり一方通行になってしまう。そこで、社長就任の2年目から直接対話をはじめました。

15年度は課長クラス約500人を10~15人くらいに分けて、順次話していくようにしました。創立50周年を迎えるに当たって、社員に伝えたい50の思いを形にした「しまキューブ」というツールを使って、課長たちにどの項目に関心があるかを問いかけ、意見や質問を聞いたのです。

それを通じて、かなり経営の思いを社員に伝えられたのかなと思っています。

私はもともとエンジニアでスペシャリスト志向でしたから、社長になることはまったく想定していませんでした。それでも何とか責任を果たせたのは“二番手根性”が原動力になったのではないかと思っています。

自分が生まれたのは海南市ですが、和歌山県で一番大きいのは和歌山市です。それから和歌山県も大阪府と比べれば人口規模では見劣りします。大阪に住んでいるときも高石市という、隣の堺市に比べればローカルな街でした。その高石市で通っていた中学校は2校あるうちの高南中学で、一番手の高石中学校には何かと負けるわけです。野村総合研究所もが属する情報サービス産業の最大手はNTTデータだと言われています。

このようにいつも二番手を歩んできました。負けていると当然、悔しいし面白くありません。でも真正面から四つで組んでもかないません。量や力では勝てません。質とか価値で勝負するしかないのです。そういう意識は現在、社内でも共有できているのではないかと思っています。

野村総合研究所会長 嶋本 正(しまもと・ただし)
1954年、和歌山県生まれ。76年、京都大学工学部卒業。同年、野村コンピュータシステム(現野村総合研究所)入社。01年、取締役情報技術本部長兼システム技術一部長。02年、執行役員情報技術本部長。04年、常務執行役員情報技術本部長。08年、専務執行役員事業部門統括。同年、取締役兼専務執行役員事業部門統括。10年社長に就任。15年会長兼社長、16年4月会長。
(Top communication=構成 向井 渉=撮影)
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