「10万円」の茶封筒に、涙あふれる

自由の身となった小松さんは、被災地をまわって聞きこみ調査をはじめた。
「数字をみるだけでは不十分。現場の声を聞くべし、とリクルートで叩きこまれていました」

ひとつの町に10回以上足を運んで地元の人々の話に耳を傾けた。

その活動ぶりが耳に入ったのか、女川町の商工会から声がかかった。同町ではボランティアや建設従事者のための宿泊施設が不足しており、移動可能なトレーラーハウスを利用した宿泊施設を作ろうとしていた。事業立ち上げの経験が見込まれ、サポートに入った。

「まだ無給だったので、仙台の実家から女川までの往復100キロのガソリン代だけも大変でした。趣味だったギターを手放して、活動費の足しにしていました」

と小松さんは当時を振り返る。

その後、正式に女川町の復興連絡協議会で働くことになった。

「まちづくりはとてもやりがいのある仕事です。地元住民や企業だけでなく、自治体や国などあらゆる関係者を巻き込んで、ゼロからものごとを作っていくのは企業ではたらくよりずっと面白いし、学びが多いと僕は思っています」

リクルート退職後、半年ぶりにもらった給料は10万円弱。

茶封筒に入った給料を手渡しで上司から受け取った。額は、前職に遥かに及ばないが、比べ物にならない重みがあった。

「現金手渡しなので、後でこっそり中身を確認するんですが、女川町の人たちが復興のために必死で集めてきたお金だと思うと、思わず涙があふれてきました」