カステラの発展は進化の歴史でもある
グラバー邸、大浦天主堂など長崎といえば、異国情緒ただよう観光スポットが有名だ。そして名物となれば、やはりカステラだろう。16世紀後半、ポルトガル人宣教師によって、この地に伝えられたとされる。もっとも、それはパンのようなもので、カステラが現在のような姿形になるには長い歳月を待たねばならなかった。
徳川幕府5代将軍・徳川綱吉の治世、天和元年(1681)創業の松翁軒も、長崎カステラを伝統の味に育て上げてきた老舗だ。300年余り、営々と家業を守り、やがては企業として発展させてきたのである。しかも、今日まで一貫して手焼き。基本的な材料は、卵に小麦粉、砂糖、水飴の4つだけ。これらの配合バランスを吟味し、焼き時間と温度を管理しながら、しっとりとして口溶けのいいカステラに仕上げていく。
「カステラの発展は進化の歴史でもあります。初期のものは、すり鉢とすりこぎで混ぜた生地を炭火の釜で焼いていましたら、固かったと思います。けれども、日本人の嗜好に合わせて、砂糖を多くするなどの工夫をし、南蛮菓子が和菓子に昇華しました。とりわけ、明治から大正の頃に水飴を混ぜるようになったことで、さらに柔らかくなっていったのです」
こう話す11代目社長の山口喜三さんは東京の大学を卒業すると、都内と千葉県で5年、和菓子の修業をしている。当然、家業を継ぐことを前提にしてのことだが、代々口伝えられた「主が職人であれ!」との言葉に忠実だったからでもある。修業先では、来る日も来る日も掃除や素材を洗う作業をして、職人気質を身につけた。実家に戻ったのは28歳のとき。そして、そこでも10年間、カステラ職人としての訓練を積んだ。