専制的リーダーが首になる理由

「どうしてか知りたいですか? あなたは私達に成長する機会を与えてくれない。あなたは私達を一緒に演奏するパートナーではなく、楽器としか見ていない……」

ムーティの活動方針は、リーダーが決めヴィジョンを示す「専制的リーダー」型だ。ここでは、いつ首を切られるかといった不信感から作業量は増えるものの、作業意欲そのものは低下していく。“命令するリーダー”のもとでは、メンバー同士のハーモニーもくずれ、やがてまとまりがなくなることも多い。

では、厳しくなりすぎないように指示を抑え、演奏をコントロールする方法はあるだろうか? リヒャルト・シュトラウスの例を見てみよう。

イタイ氏によると、30歳くらいの頃にシュトラウスが書いた「指揮者の10箇条」の1項目目には「コンサートが終わる頃に汗だくになるなら、その指揮者はやり方を間違えている」と、あまりに“指揮”をしてはいけないと書かれている。そして4番目は「トロンボーンのほうを見てはならない。これで彼らはがぜん張り切る」。つまり、自然に素晴らしい音楽が発生するように促すことが大切であり、指揮者が邪魔してはならないというのだ。

仕事においても言えることかもしれない。口を出さずに“任される”と、本人はがぜんやる気を出して、能力を発揮しやすくなる。ここでは、基本的にメンバーの意志に任せ、あまり口は出さない「放任的リーダー」の所作がみられる。ただほったらかしにされると、必ずしも作業量が上がるとは限らず、意欲も出ない可能性もある。だが、一見ほったらかしで実は本人の能力を生かそうとしているなら、トロンボーン奏者のように奮起することだって考えられるだろう。

では、ドイツの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの例を見てみよう。