英語は喜んで学ぶのが一番です

【三宅】普通はボーナスをもらってから辞めますよ。そこがまた、浦島先生らしいところですね。

【浦島】みんなに「バカだ」と言われました。「ボーナスをもらわないで独立すると資金面で致命的になるよ」なんて言う人もいましたね。だけど、やっぱり自分としてはあんまりいいビジネスマンじゃなかったし、会社には迷惑をかけてきたから、ボーナスはもらいづらいなというのが正直なところでした。

実は辞める前に、少しずつ準備はしていたのです。大学の先輩に公認会計士がいて、彼が「やるんだったらスーパーの2階なんかで開校するのではなく、はじめから教室、いわゆる校舎を建てろ!」とアドバイスしてくれたのです。「借金してでもそうしろ」ということで、校舎の建設資金として700万円を借りました。もちろん20代前半の若造ですから、銀行も貸してくれません。父親が借り、それをまた借りし、僕が父親に返していくというような感じでのスタートでした。翌年4月、実際には3月23日がオープンの日でしたが、その時点で教室がひとつと待合室がひとつ、それから事務室という施設ができていました。

浦島久 ジョイ・イングリッシュ・アカデミー学院長

【三宅】学校の名前が「ジョイ・イングリッシュ・アカデミー」。ジョイという名前にした由来は何ですか。

【浦島】最初は「イングリッシュハウス」という名前を考えました。これはいわゆるスクールじゃないと。そんな大きな学校でもないし、まさに家だと。ところが、大阪に「イングリッシュハウス」という英語学校があったのです。そこで、イングリッシュハウスだけではまずいということで、イングリッシュハウスに何か足そうということを考えたわけです。

ところが、これがなかなかいい案が出てこなくて、頭に浮かんだ単語をいっぱい並べて考えました。ケンブリッジとオックスフォードを重ねてケンフォードとかオックスリッジとか(笑)、そんな試行錯誤をしていました。最終的に「イングリッシュハウス・ジョイ」に行き着いたというのは、英語の楽しさを感じて欲しいということです。当時も受験を考えると、英語学習自体が苦しみというか、我慢しながら勉強するというようなイメージがありました。これからの時代はより楽しくやる。喜んで学ぶのが一番だという気持ちを込めたつもりです。

【三宅】イングリッシュは喜びであり楽しみだと。そういうことだったのですか。

【浦島】その後、だんだん学校が大きくなって、子どもだけでなく、社会人やシニア層も増えいきました。そこで、「ジョイ・イングリッシュ・アカデミー」という少し格調高い校名にしたのです

【三宅】創業時には、どんな御苦労があったでしょう。

【浦島】やっぱり一番の苦労というのは、英会話学校で働く先生たちの社会的な地位が低かったということですかね。当時、どうしても塾として見られるし、塾の講師っていうのは、中学校とか高校の教諭がリタイアしてやるという世の中の認識でした。それで「若い人がやるような仕事じゃない」って言われたことを覚えています。

なんか社会悪みたいな感じで見られていたので、僕自身もあまり目立たないようにしなければいけないのかなという感じがありました。昼間に床屋さんに行くと「今日は休みですか」と聞かれたりするわけですよ(笑)。それからうちで働いている女性講師の親御さんが訪ねてきて泣かれたことさえありました。「こんなところでは、うちの子がかわいそうだ」と。

【三宅】そんなことがありましたか。

【浦島】そういう意味で、ずっと僕が考えていたのは、この仕事を通じて当校の先生や職員が、周囲から「立派な仕事だ」って言われるようなところまで持っていきたいなっていうことでした。