これに対して、一般的なビジネスパーソンは、基本的に自分が働いて給料をもらうしかお金を稼ぐ方法がない。長期的に見れば、労働者が受け取る所得の増加は経済成長率とほぼ比例しており、経済成長率を大きく超えて増えることはない。資産運用から得られる利回りが、所得の増加率を上回っている場合には、資産家とそうでない人の格差が拡大するという理屈が成立することになる。

『21世紀の資本』(トマ・ピケティ著・みすず書房)

ピケティはマクロ経済のデータから資産の収益率を計算しているが、筆者も独自に、過去100年間に日本における株式や債券の利回りや値上がり率などから簡易的に資産の収益率を計算してみた。

得られた結論はピケティと同じで、いつの時代においても、所得の伸びを資産の収益率が上回っており、唯一の例外はバブル崩壊後の失われた20年だけであった。デフレ下の日本は、幸か不幸かそれほど格差が拡大しなかった時代だったということがわかる(現在、日本で進んでいる格差拡大は、貧困率の増加に代表されるように、どちらかというと下方向への拡大である)。だが今後、アベノミクスが成功して資産価格が上昇すれば、資産を持つ人とそうでない人の格差は一気に拡大していくはずだ。

資産の中には自分自身も含まれる

こうした状況において、資産家ではない個人は、どのように行動したらよいのだろうか。単純に考えれば、株式や不動産などに投資すればよいということになる。だが当然のことながら投資にはリスクが伴うし、そもそも投資をするための原資がなければ、投資をスタートすることすらできない。

(時事通信フォト=写真)

だがピケティはこうした部分についても有益な示唆を与えてくれている。ピケティが富として定義しているのは、特定の金融資産や企業の設備投資だけではない。広い意味では、あらゆる資産が富の対象として捉えられており、間接的には知的資産もそこに含まれることになる。そして、知的資産の蓄積が、実物資産や金融資産の収益率向上に大きく寄与していると考えている。

つまり、個人が持つ資産というのは、何も金融資産に限られる話ではないのだ。これまでのキャリアで得られたノウハウ、人間関係、知識など、あらゆるものが資産であり、それらを総動員することで、「自分」という資産から収益を得ていくという考え方がより重要となってくる。

rの部分は質的な部分(自分の価値を高めるための仕組み)であり、gの部分は量的な部分(労働時間)と考えてもよい。rの部分を継続的に上昇させる流れを確立することができれば、世の中の昇給スピードとは関係なく、自身の所得を拡大し続けることができるというわけだ。