「逸脱した事例」がわたしたちに教えること
がんと診断されたことのあるすべての人に
そして愛する人のがん治癒を支える人に
こんな話を聞いたことはありませんか。
進行がんと診断されて、手術や抗がん剤といった病院での治療はすべて試したけれども効果はなく、自宅にもどされた。ところが5年後に医者を訪ねたその元患者は、がんから解放されてすっかり元気になっていた。
わたしが初めてこうした事例に遭遇したのは、サンフランシスコのがん専門病院で患者のカウンセラーをしていたころでした。昼休みにわたしはアンドルー・ワイル博士の『癒す心、治る力――自発的治癒とはなにか』(角川文庫ソフィア、1998年)を読んでいました。そこには、医学的には手遅れだったはずのがん患者が、見事に回復を果たす事例が載っていたのです。わたしはのちにこうした事象を「がんの劇的寛解」(Radical Remission)と名付けました。
驚きのあまり、凍りつきました。こんなことがありうるの? 進行がんを現代医療を使わずに克服した? もしそうなら新聞の一面に載るような話じゃない? たとえ極端な事例だったとしても、画期的な出来事です。
その事例の当事者は、たまたま何かの方法に出合って、治癒に至ったのです。いったい、この人は何をしたのか。自分が担当しているがん患者の方々のためにも、なんとしてもこの現象について知りたいと思ったわたしは、劇的な寛解の症例を探し始めました。
そして衝撃的な事実を発見しました。
なんと、これまでに1000件以上の症例報告が、実際に医学雑誌には掲載されていたのです。けれどもわたしはそんな話を聞いたことがありませんでした。わたしの勤めていたのは有名ながんの研究機関ですが、こうした現象はまったく話題になっていませんでした。
調べれば調べるほど、いらだちが募っていきました。実際、医師たちはこういった症例について調べることもなく、追跡さえしていなかったのです。
わたしは少しずつ、がんから劇的に寛解した人々を探して、直接話を聞きはじめました。彼らは言いました。主治医はよろこんではくれたけれど、どうやって回復したかについては一切関心を示しませんでした。それどころか、「ほかの患者には話さないでください」と主治医に頼まれた人さえいたのです。その理由は、「あらぬ希望を与えたくないから」。
もちろん医師が特殊な事例から得た情報で患者をミスリードしたくないと考えるのはもっともなことです。けれどもだからといって、現実に起きた回復の症例を黙殺すべきではないはずです。