執行役員となって3度目のスプリット
アメリカ勤務の7年目、日本本社でブランド・オペレーションズ担当の執行役員が転職し、日本に戻ってこいと言われました。執行役員になり、国内のマーケティングなどを統括する立場となるのです。
ここでまた1つの選択を迫られます。神戸本社に勤務するか、東京オフィスに勤務するか。以前と違って、マーケティング担当者のおよそ7割が神戸、3割が東京に勤務しています。
中学生と小学生になった子どもたちは、サンタさんにお手紙でお願いしたほど、たくさんの友達がいる住み慣れたアメリカに居続ける事を希望し、はじめは日本に戻りたがりませんでした。東京に住むにしても神戸にしてもアメリカン・スクールに通わせるという条件で何とか納得してくれました。
私は考えに考えた末、神戸へ週の何日間か単身赴任することに決めました。部門のトップとして、やはり7割のスタッフがいる本社に勤務すべきだと判断したのです。
これで3度目のスプリット。
母子赴任で神戸に住むこともできましたが、国内外の出張が多くなるのはわかっていましたから、娘たちだけで夜を過ごさせるのは避けなければならないと考えたのです。
主人はいきなりティーンエイジャーの娘2人を任されると聞いて驚きました。
「そんなの無理だよ」
「いやいやいや、赤ん坊の頃と違ってもうオムツ替えたり、寝かしつけたりしなくていいんですから。食事も身のまわりのことも自分たちでちゃんとやれますから」
そう説明して納得してもらいました。現在は週4日は神戸で一人暮らし、金曜からの3日は東京で家族と暮らすペースを守っています。
わが家は主人と私のデュアルキャリアで進んできましたが、どちらをリードキャリアにするかは決めていません。その時々でお互いの希望をできる限り満たし、折り合いがつく形、家族にとって最適な形を突き進める。そういう考え方ができたから、25年近くこの会社で働くことができたのだと思います。
女性が活躍できるP&Gでも、90年代はまだ結婚して退職した人も多くいましたし、出産後にブランドマネジャーとして戻ってきたのは私が最初でした。家族に協力してもらい、頑張ってこられたのも、やはり仕事にやりがいを感じていたからです。